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イスラエルの嘘が暴かれても二国家解決は復活しない

イスラエル軍による作戦の最中、同軍と衝突するパレスチナ人たち。ジェニン。(ロイター)
イスラエル軍による作戦の最中、同軍と衝突するパレスチナ人たち。ジェニン。(ロイター)
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06 Jul 2023 08:07:25 GMT9
06 Jul 2023 08:07:25 GMT9

イスラエル支持者が最も繰り返し主張することの一つとして、パレスチナ側はイスラエルとの和平を望んでいないというものがある。そういったプロパガンダを行っている者たちは、イスラエル側からの多数の提案(いずれも国際基準や国際法を満たしていない)を定期的に列挙しては、パレスチナ側がそれらを拒否するのは和平に関心を持っていないからだと主張する。

こういった主張に反論しようとするパレスチナ側の主張は聞き流されている。もっとも、1967年以降のいかなる時点での現地の状況(ことさらに挙げれば、イスラエルによる違法な入植事業、国際社会から拒否されている東エルサレム併合、継続的な人権侵害)も、イスラエルにとっては問題ではないようだ。イスラエル国民はもちろんのこと、イスラエル政府を盲目的に支持している大半の欧米諸国も、同政府のレトリックを受け入れている。イスラエルの行動や、これらの国々が公に支持している二国家解決という概念を尊重することを拒否するイスラエルの姿勢をよそにである。

パレスチナ指導部に対する攻撃としておそらく最も多用されているこのレトリックは、2000年のキャンプ・デービッド会談(キャンプ・デービッドII)と、それに続いた「クリントン・パラメーター」の失敗の結果として生まれたものだ。ビル・クリントン大統領の呼びかけでヤセル・アラファト大統領とエフド・バラク首相(いずれも当時)が出席したこの2000年の会談の前、パレスチナの指導者らは米国行きを躊躇していた。アラファト大統領は、イスラエル側は和平のために必要な厳しい選択する用意があることを示していないと主張した。そして、会談が失敗に終われば自分が責められること、そして突破口を開けなければ壊滅的な影響がもたらされることを正確に予測した。

一方のクリントン大統領は未だルインスキー・スキャンダルに悩まされており、大統領としての任期の終わりを有終の美で飾りたいとの思いから、アラファト大統領に対し責任は追及しないと約束した。しかし、会談が失敗に終わるとクリントン大統領はこの約束を破り、失敗はアラファト大統領のせいだとバラク首相と共に非難した。

クリントン大統領によるもう一つの最後の努力として2000年12月に提案された「クリントン・パラメーター」も失敗に終わった。イスラエル側もパレスチナ側もクリントン大統領の提案を条件付きで受け入れた。しかし米国は、イスラエル側の条件は単純で「パラメーターの範囲内」であるとする一方で、パレスチナ側の条件は「パラメーターの範囲外」だと主張した。この主張に反論しようとしたパレスチナ側の努力はまたしても行き詰まり、イスラエルと米国の主張が残ったように見えた。

それから20年以上が経った今、キャンプ・デービッドII時代の文書の一部がイスラエルによって機密解除されたことで、研究者やその他の人々は真実を知りつつある。すなわち、米国とイスラエルの指導者らが世界に対し嘘をついていたこと、そしてイスラエル側の条件(イスラエルがパレスチナ領土を併合する権利を持つこと、およびパレスチナ人の帰還の権利を認めないこと)は国際法違反であったことをだ。

機密解除されたイスラエルの文書には、米国家安全保障担当補佐官に宛てられた、イスラエル首相の代理による署名入りの書簡が含まれていた。その書簡には、イスラエルの目的は「入植地内の入植者の80%をイスラエルの主権下に組み入れること」であり、同国はその目的の実現のために、「提案された併合範囲を追加領土の長期リース契約と」組み合わせる意向である、などの内容が記されている。

この機密解除文書は、「ホーリーベイスン全体のための特別な体制」が必要であるという点でイスラエルの立場はクリントン大統領の立場とは異なるということも指摘している。また、「パレスチナの警察と治安部隊、国際部隊の権限およびパレスチナ非軍事化の監視、領空に関する取り決め、その他の安全保障的・軍事的に重要な分野において提案されているタイムラインや取り決め」に関してクリントン・パラメーターに同意できないとも訴えている。

パレスチナ側が行った要請は明確化を求める正当なものであり、イスラエル側が主張するような「ゲームキラー(交渉を台無しにする行為)」には当たらない。

ダオウド・クタブ

この機密解除文書におけるおそらく最大の逸脱は、国連安全保障理事会決議第194号に規定されているパレスチナ難民の帰還の権利という問題に関するものだ。文書にはこうある。「難民問題については、難民の帰還の権利に関する文言に一定の曖昧さが含まれているが、イスラエルとしては曖昧さを回避したいと考えている」

一方で明確なのは、パレスチナ側が行った要請は、アル・ハラム・アル・シャリフの外でのパレスチナ警察の地位に関するものも含め、明確化を求める正当なものであり、イスラエル側が主張するような「ゲームキラー(交渉を台無しにする行為)」には当たらないということだ。

歴史が示すところでは、イスラエルは1967年6月の境界線によるパレスチナ国家樹立を受け入れるという難しい決断を下していなかったというパレスチナのアラファト大統領の考えは正しかった。パレスチナ人にとってはこの国家樹立案でさえも、1947年の分割案と比較しても遥かにイスラエル寄りの大きな譲歩なのだが。

キャンプ・デービッドII時代の失敗により、そして問題の原因が歪曲されたことにより、この失敗の責任は他でもないパレスチナ指導部にあるのだと、イスラエル側の和平派さえ確信してしまった。当時イスラエルの野党指導者だったアリエル・シャロン氏は、交渉におけるアル・アクサモスクの重要性を知りながら、イスラム教で3番目に神聖なモスクであるこのモスクに2000年9月に突入して全てを台無しにした。その結果パレスチナ人によるデモが発生し、それがイスラエルによって暴力的に鎮圧されたことでアル・アクサ・インティファーダが起こった。2000年10月の1ヶ月間で計141人のパレスチナ人が死亡し5984人が負傷した。

言葉は重要である。そして、現実の偽りの反映を作り出すために言葉が使用される時、それらの言葉は甚大な影響をもたらす。クリントン大統領とバラク首相が交渉の決裂をパレスチナ指導部のせいにしたという事実は、それ以来パレスチナ人に付きまとうとともに、二国家解決に基づいたイスラエル・パレスチナ和平の実現をより一層困難にしている。

我々は今週もその厳しい現実を目の当たりにした。イスラエル軍のD9ブルドーザーがジェニン難民キャンプの一部を文字通り平らにしたのだ。それにより自宅に住めなくなった家族らは安全のために避難を余儀なくされた。

イスラエルはジェニン難民キャンプにブルドーザーをかけただけでなく、占領下の領土内をブルドーザーをかけながら進んでいる。国際社会から完全な人権侵害と見なされる行為だ。真実に関心がある者から見れば、第4ジュネーヴ条約に違反して入植地を建設しパレスチナ人の家を破壊する行為そのものが、現地で起こっていることのみが重要な現実であるということを示している。イスラエルの文書の機密解除はパレスチナ側の言い分の説明には役立つかもしれないが、失われた人命や希望がそれで戻ってくることはない。

  • ダオウド・クタブ氏は元プリンストン大学教授であり、ラマッラーのアル・クッズ大学の現代メディア研究所の創設者・元所長である。

ツイッター: @daoudkuttab

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