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パレスチナ人アーティストたちが、戦時下における芸術の役割について語る

パレスチナ人アーティストのハゼム・ハーブ。11月に『Dystopia Is Not A Noun(ディストピアは名詞ではない)』シリーズのために制作した作品の前で。(提供)
パレスチナ人アーティストのハゼム・ハーブ。11月に『Dystopia Is Not A Noun(ディストピアは名詞ではない)』シリーズのために制作した作品の前で。(提供)
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13 Jan 2024 12:01:02 GMT9
13 Jan 2024 12:01:02 GMT9
  • イスラエルによるガザ攻撃は4カ月目を迎えた今、パレスチナ人アーティストたちは、戦争が彼らの作品に与えた影響と、戦争時に芸術が果たしうる役割について語った。

ラワー・タラス

ドバイ:戦時――現在ガザで起こっているように、何千人もの人々が死に、病院や学校が爆撃されるような時――において、芸術は果たして本当の意味での関連性を持ち、そして役割を果たすことができるのだろうかと疑問をもつのは自然なことだ。このような苦痛と破壊を前にした時、あらゆる種類の芸術は、暴力の外で生きることができる幸運な人々だけが享受できる贅沢品と見なされるかもしれない。しかし、歴史は、世界の偉大な芸術家たちの中には、凄まじい苦しみと社会・政治的激変の中で最も力強い作品を生み出してきた人々がいることを示している。

たとえば1937年、パブロ・ピカソはスペイン内戦中のバスクの町への爆撃を描いた悪夢のような絵画『ゲルニカ』を制作した。また、イラクの先駆者、ディア・アル・アザウィの最高傑作のひとつは、1982年にベイルートで起きた「サブラ・シャティーラの虐殺」を題材にした、感情を揺さぶる巨大な作品だ。 

英国在住のパレスチナ人ウード奏者、リーム・アンバル。(提供)

イスラエルによるガザへの軍事攻撃が3カ月目に突入するなか、国内外のパレスチナ人アーティストたちは、アートを用いて感情を表現し、同胞たちが耐え忍んだ苦しみを知らしめようとしている。ドバイとベイルートで最近開催された展覧会では、パレスチナ人アーティストたちの作品を展示することで連帯を示している。

リーム・アンバルは戦争の娘だ。サウジアラビアで生まれ、ガザで育ったこの音楽家は、音楽を学ぶ機会に恵まれなかったにもかかわらず、彼女の町で初めての女性ウード奏者になったと報じられている。音楽療法の修士課程に在籍するアンバルは現在、英国のマンチェスターに住んでいるが、ガザで育った記憶は鮮明に残っている。「私は戦争と共に育った」と彼女は言う。「私は3つの戦争を経験した。それぞれの戦争で、私たちは家、隣人、友人を失った……私たちは文字通り、牢獄の中で暮らしていた」

それでも彼女は希望を見出した。11歳のとき、アンバルは夏のアクティビティを提供する地元のセンターでウードを手にした。「なぜだかわからないけど、ウードは私にとって武器のようなものだと感じていた。そのおかげで自分を表現し、自分の主張や感情、人生について語ることを可能にしてくれた」と彼女は言う。 

2017年に英国でガゼルバンド(Gazelleband)を結成したアンバルは、「私はここに逃げてきたのではない。何もしないで生きるつもりはなかった」と語る。「私はここで働くために来たのだ。私は町から町へと移動し、私のパレスチナ音楽を広めている」

スリマン・マンスールが1985年に描いた『Symbol of Hope(希望の象徴)』。自分が古い作品をシェアしていることに気づいた。「私たちにとっては、何も変わっていないんだ」。(提供)

アンバルは英国とイタリアでのコンサートを控えている。家族や友人が殺されているのに、どうして音楽を演奏できるのかと問われることもある。しかし、彼女にとって音楽は慰めなのだ。

「たとえロケットが落ちてきても、私はウードを離さない。戦争は私たちに、より多くの音楽を作り、歌うための動機を与える。結局のところ、私たちパレスチナのアーティストは、どこへ行っても私たちの大義を背負っている」と彼女は言う。「メッセージは芸術を通して伝えることができる」。 

24歳のマラク・マタールはアンバルと同様ガザ出身で、英国に避難先を見つけた。詩や芸術を愛する家庭で育ったという彼女は、女性を主題としたカラフルな絵画を描き、パレスチナの伝統と視覚文化に敬意を表している。しかし、この3カ月で彼女の作品は新たな方向性を示し、最近の残虐行為の犠牲者を木炭で描いた生々しい絵を制作するようになった。彼女は実際、10月にガザを訪れており、10月7日のハマス主導によるイスラエル攻撃の前日にガザを離れた。

「私の人生で最悪の時期です」とマタールはアラブニュースに語る。「私の家族はまだガザにいます。毎日が新たな悲劇です。起こっていることはジェノサイドです。安全な場所はどこにもない 」

英国を拠点に活動するパレスチナ人アーティスト、マラク・マタールの最近のドローイング。(提供)

これらの新しいドローイングでは、マタールは無力な幼児や動物、損傷した建物、泣き叫ぶ女性たちを印象的なモノクロームの色調で描いている。

「白と黒しか使わないのは、アーティストとしての抗議の形だと思う」と彼女は説明する。「正直なところ、いくつかの作品は描くことが難しかったです。しかし、ジャーナリストや写真家のアカウントを通してソーシャルメディア上で目にしたものを記録するのが私の方法です。私は自分が忘れたくないものを描いています」

このドローイングは、マタールがアーティスト・イン・レジデンスとして選ばれたロンドンのアート・レジデンシー・プログラム「An Effort」に展示される予定だ。彼女の家族がガザで直面している暴力と避難はもちろん彼女に大きな影響を与えているが、彼女は創造を続けることの重要性を認識している。

「私はアートを信じています。それには果たすべき役割があります。すべてを記録し、人間的で感動的を与える方法で何かを表現するのです」と彼女は言う。「忘れることは悪いことだと思います。忘れることは裏切りを意味します。私たちが目にしているのは戦争犯罪です。私は悲しみだけでなく、怒りも感じています。私は、私たちを見捨てた外の世界を直視できません」

一方、エルサレムでは、ベテランのパレスチナ人アーティスト、スリマン・マンスールも、1月末にラマッラーで開催されるグループ展で、シュルレアリスム風の新作キャンバスを発表する準備を進めている。最近のマンスールは日常的にアトリエを訪れることはなく、訪れたとしても1回に1時間程度しか絵を描かないこともあり、創作活動のペースは落ちている。

英国を拠点に活動するパレスチナ人アーティスト、マラク・マタール。(提供)

「アーティストや友人と話すと、みんな同じ問題を抱えている。この時期に何をすべきか分からないという種類の喪失感です」と彼は言う。「今の状況と第一次インティファーダを比較するなら、第一次インティファーダの方が芸術や文化により強い影響を与えました。人々が戦闘に参加していたときは、より創造的だったと思う。しかし今、私たちはただの傍観者です。ガザのアーティストたちと話をすることがありますが、彼らの状況はひどいものです。スタジオもなく、家も破壊されています。彼らにラマッラー展のことを話すと、『私達には食べるものもないのに、君は展覧会の話をするのか』と、とても苛立っていました」

「このような時には、アートは重要ではないと思えるかもしれない」と彼は続ける。「しかし、私は重要だと思います。たとえ今の世代にとってはそうでなくとも、未来の世代にとって。アートは、ある時代の魂を映し出すものなのです」

インスタグラムでは、彼のメランコリックな具象絵画の画像が若いユーザーによって定期的に拡散されている。マンスールは、自分が80年代や90年代の古い作品の投稿をシェアしていることに気づいた。「私たちにとって、占領下では何も変わっていないんのです」と彼は語った。 

『オリーブの木の下の聖なる家族』(アクリル、油彩)、スリマン・マンスール、2020年。(提供)

ハゼム・ハーブはドバイを拠点に活動するパレスチナ人アーティストだ。ガザにある代々家族が所有してきた彼の家は破壊されてしまったが、彼はマンスール同様、このような時代においても芸術には価値があると信じている。「まだ家がなくなったことを受け入れることができない」と彼は言う。「私たちの人生と記憶の全てが、その家の中にありました」

11月、ハーブはドバイでライブパフォーマンスを行い、巨大なキャンバスに崩れたような顔を描いた衝撃的なドローイングを制作した。これは、彼の『Dystopia Is Not A Noun(ディストピアは名詞ではない)』木炭シリーズの一部で、迫力ある音楽に合わせて描かれた。 

「人前で絵を描いたのは生まれて初めてのことでした」と彼は言う。「正直に言って、それは困難な経験でしたが、自分の感情を吐き出すことで表現できることもありました。最後には、もう耐えられなくなりました。文字通り、私の内なる感情から描いていました」 

彼は、11月に描いたキャンバスが美術館のような公共の場で展示され、彼の故郷が被った残虐行為を思い起こさせるような作品になることを願っている。

「アートは」と、彼は語り始めた。「こうした物語を伝え、記録するという重要な役割を担っているのです」

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