エディンバラ:エリザベス女王の棺が日曜日、エディンバラに到着した。スコットランドのハイランド地方にある夏の別荘から6時間かけて移動してきた。道程では何万人もの弔問者が並んでいた。多くは沈痛な沈黙の中、ある者は拍手を送り、ある者は涙を流していた。
午前10時(GMT午前9時)過ぎ、女王の遺体が収められたオーク材の棺を乗せて霊柩車がバルモラル城(女王が木曜日に96歳で亡くなった場所)の門を出ていき、スコットランドの首都へ向けて徐行を始めた。
棺にはスコットランド王室旗がかけられ、その上には花輪が飾られていた。花輪はバルモラル城で摘まれた花々で作られたもので、女王が好んでいたスイートピーを含んでいる。
エディンバラの中心部では人だかりができており(場所によっては15列ほど)、女王の娘にあたるアン王女を含む葬列を出迎えた。葬列はホリルードハウス宮殿に向かい、行く先で軍の儀仗隊に迎えられた。
棺は、その後、ロイヤル・スコットランド連隊の兵士によって宮殿の王座の間まで運び込まれた。棺はそこで一晩、安置される。
「これを見逃すことはできませんでした。もしそうしたら一生後悔することになったでしょう」とエイリド・マッキントッシュさん(62歳)は話した。彼女は、大勢が集まったエディンバラの名所ロイヤルマイルで葬列がよく見える場所を取るために、午前6時に家を出た。
「女王が私たちを失望させることはありませんでした。なので、私も彼女を失望させたくはなかったのです。女王がいなくなった今、国民の心には大きな穴が開いています」
バルモラル城からの出発は、9月19日にロンドンのウェストミンスター寺院で行われる国葬に向けた一連の日程の始まりである。
新国王のチャールズ三世は金曜日に、母への思いを込めた弔辞の中で、女王が昨年亡くなった73年間の夫であるフィリップ王子のもとへと「最後の大旅行」を始めたと述べた。
女王の死には、自身の近親者や英国内の多くの人々だけでなく、世界各地から、涙と悲しみが起き、そして温かい賛辞が集まった。このことは、70年にわたる世界舞台での女王の存在感を反映している。
葬列は絵のように美しい田園風景、村、小さな町や都市を縫うように進み、行く先々で人々が道沿いに並び、あるいは、停めた車から降りて見送った。ある地点では、農家の人たちが近隣の畑に何十台ものトラクターを儀仗隊に見立てて並べたところを通り過ぎた。
明るい日差しの中、大勢の人々が静かに見ていた。ある者は道路に花を投げ入れた。また、瞬間、感動で涙する者もいた。「とても、とても悲しいです。お別れを言いに来てよかった」と、1953年に女王の戴冠式の日に生まれたエリザベス・アレクサンダーさん(69歳)は言った。
英国内の他の宮殿にも何千人もの人々が集まり続けており、敬意を表するために訪れた人々によって、大きな花の山が積み上がっている。
チャールズ三世は、母親の死後すぐに国王となった。土曜日には、何世紀にもわたる伝統を誇る華やかな式典で、新国王として即位宣言を正式に行った。
それに続いて、英国をはじめ、オーストラリア、カナダ、ジャマイカ、ニュージーランド、パプアニューギニアなど、チャールズ三世が国家元首となった14か国で同様の宣言が行われた。
カナダのジャスティン・トルドー首相は、議員が弔意を表すことができるよう、木曜日に国会を召集すると述べた。
女王は1952年2月6日、父王ジョージ六世の死去を受け、わずか25歳で即位した。戴冠式はその一年後に行われた。
女王の死は、年齢と健康状態の悪化から全く予期されていなかったわけではないが、それでもなお、このニュースには衝撃を感じさせるものがあるようだ。
「私たちは皆、女王が亡くなることはあり得ないと思っていました」と、新たに王位継承者となった孫のウィリアム王子は土曜日にウィンザー城で群衆と対面する最中、弔問者の一人に語った。
英国当局の発表では、女王の葬儀の日程は国民の休日となる予定だ。米国のジョー・バイデン大統領は参列の意向を述べたが、行事や参列者の全容はまだ公表されていない。
その前に、女王の棺はロンドンに空輸され、厳かな行進と共に、バッキンガム宮殿からウェストミンスターホール宮殿に移され、4日間安置されることになっている。
リズ・トラス内閣報道官は記者団に、「言うまでもなく、大勢の人々が訪れるだろう」と述べた。
火曜日に女王の最後の公務で首相に任命されたトラス氏は、チャールズ三世とともに、今後数日間、英国を構成する4カ国を歴訪する予定だ。
73歳のチャールズ三世は、1066年にイギリスの王位を奪ったノルマン朝のウィリアム征服王を起源とする家系の41番目の君主となった。
女王の死は、王室にとって困難な2年間を締めくくるものであった。
最も注目された問題は、孫にあたるハリー王子と妻メーガン妃に関わるものだ。夫妻は2020年に王室を離脱した後に、カリフォルニアに移住し、王室を厳しく批判してきた。
そのため、夫妻は他の王族から疎外されており、ハリー王子と兄のウィリアム王子は滅多に話さないと言われている。しかし、祖母の死をきっかけに、二人は立場の違いをひとまず脇に置き、土曜日にウィンザー城の外にそれぞれの妻とともに現れ、群衆と対面した。
王室関係者は、これについて、王室にとって極めて困難な時期に結束を示す重要な出来事だと述べている。
ロイター