
日没後、閉館した博物館の裏口に観光バスが到着した。降りてきた乗客たちは、黄色く反射する紐の付いたメディア証明書を携行しており、東京五輪大会のために来日した隔離中のジャーナリストたちだということが直ぐに分かる。
この2、30名の参加者たちは、小さな漁村から世界クラスの五輪開催都市へと進化を遂げた東京という街の歴史を記録した博物館の、閉館後ツアーの抽選に当選した人々だ。裏口へと案内され、他には誰もいない展示場へと入っていく。
ガイドは、物事を前向きに表現しようとしてくれる。
「皆さま方のためだけに開館しているのです」と彼女は笑顔で言う。「皆さまは特別重要なお客様です」
しかし実際のところ、夜間に見学する目的は、参加者たちを現地の人々からできる限り遠ざけておくことにある。
五輪開催都市は通常、観光名所をアピールするために、何千人ものジャーナリストたちに観光を提供してくれる。しかし今回ばかりは、五輪訪問者たちを1400万人の東京都民から切り離して入念に管理した「バブル」と呼ばれる環境の中に収容しつつ、より小人数グループでそれを試みているのだ。
今回の「ガイド付き管理ツアー」プログラムに参加する者たちは、誓約書に署名をしている。ツアーから離れないこと。住民に話しかけないこと。そしてそれらの規則を破れば、国外退去の可能性もある。
最初に訪れたのは、東京湾に面した400年の歴史をもつ浜離宮恩賜庭園だ。その日は約600人が訪れていた。しかし、その後に公園は閉鎖されて地元の人々は出ていき、海外からの訪問者が中へ入れられた。
日が沈みかける中で、ツアーガイドが典型的な日本の風景を撮影するのに申し分のない場所を指し示した。盆栽のように入念に曲げた庭園内の松の向こうには、きらめく高層ビル群が突き出ている。
その後、ガイドは再びツアーグループをバスへと案内する。庭師が大きな石の門のところに立ち、手を振って別れの挨拶をしてくれる。客が見えなくなるまで見送るのが日本の習慣なのだ。
バスはスピードを上げて高速道路へと乗る。そこはオリンピック関係者に便宜を図るべく地元ドライバーには遠慮してもらおうと、通行料金を上げている。バスは住宅地区の中を巡っていくが、歩道にはほとんど人がいない。東京では感染が再び増加しており、感染拡大を抑えるために都民に制限が敷かれているのだ。
暗闇の中でバスは博物館に到着した。そこでジャーナリストたちは、誰もいないホールの中を自分たちだけで歩き回った。
多くの記者たちが、第二次世界大戦から20年も経たずして開催された1964年東京五輪に関する展示にカメラを向けた。その開会式では、平和のシンボルとして8000羽の鳩が放たれた。
そして今、ここで再び大会が開催されるが、祝賀ムードは抑えられている。大会を取り巻く世界では、ウイルスで400万人以上が亡くなっているからだ。
一行は裏口を通って博物館を去り、バスは安全に五輪の「バブル」内へと帰還した。
AP