

カルドン・アズハリ
長崎: 長崎市の半分を破壊した原爆投下から77年、田上富久長崎市長は、同市だけでなく日本は、核の時代に反対する象徴として先頭に立つべきだと考えている。
「長崎市長として市を代表し、平和のメッセージを世界に発信したい。しかし長崎は日本の一部であることを考慮しなければならない。海外へ発信する際には、市が共有するメッセージにとどまらず、国全体のメッセージになるということだ」と田上氏は長崎市庁舎でのアラブニュース・ジャパンの取材で語った。
歴史的に長崎は世界で最も不運な都市の一つとして数えられる。運命のいたずらから、米国の原爆による2番目の犠牲者となった。当初の目標は上空が曇っていたため、パイロットたちは第2目標の長崎に進路を変え、「ファットマン」爆弾はキリスト教の中心地であった歴史的な都市に落とされた。
「当初は小倉(現在の北九州市)を爆撃する予定だったが、当日の上空が曇っていたため長崎に変更された」と田上氏は説明した。 市長はこのことを誰もが覚えているわけではないとしつつ、北九州に原爆投下が回避された8月9日を忘れないよう記念碑が建てられたことを付け加えた。
「生存者の中には、記念碑が長崎の方向を向いていないとの意見があり、向きが変更された」と田上氏は述べた。
「今は長崎市を向いており、人々が集まって平和を祈る際にはこちらに向かって祈る。子どもを連れて長崎を訪れる若い家族もいる」
米国の原爆で壊滅的な被害を受けてから77年の今年、田上氏はインタビューで核兵器廃止を強調した。市長は、核兵器は存在する限り使用されるのだと警告した。
1945年8月9日午前11時2分、米軍爆撃機が投下した「ファットマン」という名のプルトニウム爆弾は、長崎上空で爆発、世界で2番目に戦争に核兵器が使われた。その年の終わりまでに約7万4000人の命が失われた。