
ベイルート:レバノン南部の町ハリスでは、ある新婚の夫婦がSafy Faqeehのアパートで無償で暮らしている。Faqeehはその夫婦と知り合いだったわけではないし、彼らが新婚旅行中だということでもない。その夫婦のベイルートのアパートは、前週起きた大爆発で首都全体が粉々になった時に破壊されたのだった。
Faqeehは、8月4日の大爆発から生存した人々に対して自宅を開放している何百人ものレバノン市民のうちの一人だ。
ベイルートの港で勃発し、街全体を破壊した大爆発によって、およそ25万人の市民が住む家を失った。しかし彼らは避難所に押し込まれたり、公園で寝起きすることを強いられる必要はない。
政府不在となった今、レバノン国民が互いに助け合うために立ち上がっているか らだ。
親類や友達や近隣の人々を自宅に滞在させている人もいれば、Faqeehのように、 ソーシャルメディアで部屋の無料提供を呼びかけて救いの手を差し伸べている人もいる。
前述の新婚夫婦は、Faqeehがハリスで無償アパートを提供してくれることをフェースブック上で見つけた。ハリスはベイルートの約80km南に位置する。彼らは必要なだけ滞在して構わないし、他に困っている人がいればもう一部屋アパートの用意がある、とFaqeehは言う。「これは人助けではありません、義務なのです」と彼は言った。
Faqeehがまだ十代だった頃、イスラエルとヒズボラの間の戦争によって彼の家は2006年に被害を受け、レバノン国内の反対側で無被害状態のトリポリにあった住宅に滞在せざるをえなかった。今彼は「恩送り」、つまりその時の恩を他の同胞に対して返しているのだった。「私たちはいくつもの戦争を経験し、人々は互いに住む場所を提供し合ってきましたから」とFaqeehは語る。
レバノン市民が互いに差し伸べる助けは住む場所の提供だけにとどまらない。ヘルメットとほうきを携えた何百人ものボランティアがベイルート市内の特に被害の大きい地区を周って歩き、家屋の片付けをしたり、無償で基本的な修理を行って、とりあえず住むことができるようにしている。
この大爆発によって市内のある一帯が全て瓦礫と化し、通りはガラスの破片やねじ曲がった金属、壊れたブロックの残骸に覆われた。しかし数日のうちに通りの幾筋かはすっかり片付けられ、瓦礫はきちんと山積みされていた。それはすべてボランティアたちの働きによるもので、彼らは頻繁にソーシャルメディアを利用して、ひときわ助けの必要な場所を連絡しあっていた。
一部の場所では、ボランティア市民が通りを掃除し瓦礫を片付ける一方で、治安部隊や兵士は脇に佇んで見守っているという様子もみられた。
レバノン政府が、災害への対応はもとより基本的な役割すら提供することができずにいるため、このような状況に拍車がかかっている。今回の大爆発に関して、すでに多くの国民が政府や支配的立場にある高官たちの無能ぶり、管理不行き届き、汚職について糾弾している。管理当局は複数回にわたる警告にもかかわらず、2,750トンもの起爆性の高い硝酸アンモニウムを7年間にわたって監視もせずに港の倉庫に放置していた。そして今回、それらへの引火による大爆発を引き起こしてしまったのだ。この事故で170人以上の人々が命を落とし、何千人もの人々が怪我をし、街中が瓦礫と化した。
政府はその後始末をほとんど完全に市民に丸投げしている。取り壊された港周辺をみても、通りに政府の清掃職員の姿は見えず、家やオフィス・店舗に被害を被った人々に対する補償の口約束以外には、役人たちからの働きかけはほとんどみられ ない。
市民によって提供されているサービスの項目の方は増え続けている。現在では、爆発によって破損された車のための無料ガラス、家電製品の無料メンテナンス、顔を負傷した人々への無料整形手術まで提供されている。フェースブック上ではリビルド・ベイルート(ベイルート再建)というグループが急速に台頭してきた。そのボランティアたちはフルスピードで行動を起こしており、家屋の片付けを行ったり、被害者たちと修理費用を負担してくれる寄贈者とを結びつけたりしている。
レバノンはすでに悪化の一途をたどる経済危機の渦中にあり、そうした状況の中で国民個々人による連帯行動というものがより一層顕著となっている。経済危機のために何十万人もの国民が貧困状態に陥っており、家庭にも企業にも余剰現金といえるものはほとんど残っていない現状なのだ。
「レバノン国民を本当に誇りに思います」と19歳の大学生Kim Sacyは言う。「国家も無く、指導者も無く、物も無い…自分たちの手でこの戦場における全てのことをやっているのです」
Sacyはフランスの大学で学んでおり、今年スウェーデンのあるプログラムに参加するはずだったが、コロナウィルスのパンデミックのためにレバノンに足止めされていたのだった。
爆発が起きた時、彼女は帰宅中ベイルート郊外を運転していた。その時爆発は体感しなかったが、アーシュラフィーフの自宅近辺まで来た時点で、あたりが壊滅しているのを目の当たりにした。「ここは私がずっと生まれ育った場所なのです」とSacyは言った。彼女の家族の家も破損していたが、それでもなお彼女は他の人々のことも助けたかった。「家の被害は重要ではありません。私は運が良かったと思います」彼女は言う。「住む人あっての家ですから。」彼女の家族の何人かもその爆発で怪我をしたが、今は元気にしているという。
Sacyはまず食料その他の物品を集め、困っている人々へ提供した。およそ25家族が彼女のところへ寄付を申し出てくれた。その中には彼女の知人もいるが、半数は見知らぬ人たちだ。過去1週間、彼女はベイルートの街を車でまわって家具や救急医療品、ベッドのシーツ、台所用品などの寄付を回収し、それらを地元の非政府団体に届けて配布してもらう。それ以外の時間には、街の通りや消防署の片付けを続けている。
こうした自助精神は長期間に及んだ市民戦争時代から根付いたものだ。当時中央当局が崩壊し、レバノン国民は自らの力だけで日々の生活を乗り切らざるをえなかった。近年においては、繰り返し起こる反政府運動によってボランティア精神と市民の責任・義務というものが強化されるようになった。そしてこれは、国を超えた結びつきを容易にしたソーシャルメディアのおかげで、より一層促進された。
大爆発のショック、そして愛する者たちが傷ついている様子や破壊された家を目の当たりにしたトラウマによって、ベイルート市民には精神上の負担がのしかかった。彼らはすでに財政上の苦難を強いられていたから、尚更だ。
ベイト・インサン福利厚生センターは、ベイルート市民が今回の大爆発によるトラウマを克服する手助けをするための無料サービスを提供している。さらに同セン ターは、裕福な人々に対し、他の人々が精神的な助けを得るための費用を負担してもらえるよう働きかけている。
「これまでのありとあらゆる災難によって、精神衛生のための費用をまかなう余裕のある人がどんどん少なくなっています」と同センターの共同創設者かつ共同責任者を務めるSamar Zebian 博士は語る。「我々は社会に奉仕する企業体です」
AP