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レバノンは中東における永遠の戦場となるのか

ヒズボラのウィサム・アル・タウィル司令官と指導者サイエド・ハッサン・ナスララ師(右上)。殺害されたイランのクッズ軍司令官カセム・ソレイマニ氏と(左下)。アル・タウィル氏は2024年1月8日月曜日、レバノン南部の村、キルベト・セルムで殺害された。
ヒズボラのウィサム・アル・タウィル司令官と指導者サイエド・ハッサン・ナスララ師(右上)。殺害されたイランのクッズ軍司令官カセム・ソレイマニ氏と(左下)。アル・タウィル氏は2024年1月8日月曜日、レバノン南部の村、キルベト・セルムで殺害された。
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14 Jan 2024 03:01:18 GMT9
14 Jan 2024 03:01:18 GMT9
  • レバノンは、その立地、軍事的な脆弱性、宗派間政治により、長い間戦場として選択されてきた。
  • イスラエルがレバノン国内でハマスとヒズボラの要人数名を殺害した疑いを受け、レバノンは再び戦場となる岐路に立つ。

ナディア・アル・ファウルロバート・エドワーズ

ドバイ/ロンドン:イスラエルは、1月2日にベイルートで起きたハマス幹部サレハ・アル・アルーリ氏の殺害事件への関与が疑われている。次いで1月8日、レバノン南部でヒズボラ司令官ウィサム・アル・タウィル氏が同様の攻撃で死亡した。これにより、レバノンは再びイスラエル・パレスチナ紛争の中心地となりつつある。

10月7日にガザ紛争が始まって以来、イスラエル軍と、イランに支援されたレバノンのヒズボラ民兵のメンバーは国境エリア(ブルーライン)付近で銃撃戦を繰り広げてきた。イスラエルがレバノン国内の民兵指導者を標的にしたという今回の疑いが地域的なエスカレーションを引き起こすことを、多くの人が懸念している。

ハマスの政治局副局長であり、武装組織カッサム旅団の創設者であったアル・アルーリ氏は、ベイルート南部にあるヒズボラ支配地域のアパートで、数名の部下と共に正確なドローン攻撃で殺害された。

何千人ものハマス支持者が彼の死を悼み、報復を訴えた。ヒズボラの指導者ハッサン・ナスララ師はライブ配信された演説でこの殺害を非難し、これを「イスラエルによる明白な侵略行為」であると述べ、罰から逃れることはできないと宣言した。

しかし、このヒズボラ指導者はイスラエルへの宣戦布告は踏みとどまった。

この演説は、アル・タウィル氏――ヒズボラのラドワン部隊副部隊長――が、レバノン南部の都市キルベト・セルムでイスラエル軍のものと疑われるドローンによる車両への攻撃で死亡する前に行われた。ガザ紛争が始まって以来、ヒズボラの幹部が死亡したのはこの事件が初めてだった。

ヒズボラ軍事メディアが公開した、ヒズボラ幹部ウィサム・タウィル司令官の日時非公表の写真。イスラエル軍の空爆によりタウィル氏は死亡した。ガザでの戦闘で民間人が犠牲になっているにもかかわらず、国境エリアにおける空爆の応酬がエスカレートしており、中東戦争が再び起こるのではないかという懸念が高まっている。(ヒズボラ軍事メディア/AP)

そして1月9日、レバノン南部のヒズボラ空中部隊の司令官アリ・フセイン・ブルジ氏が、キルベト・セルムでイスラエルによるものと疑われる空爆で死亡した。

これまでのところ、イスラエルとヒズボラの「まやかし戦争」は、ブルーライン沿いの地域における、ロケット弾やドローンによる相互攻撃にとどまっている。しかし、もし敵対行為がエスカレートすれば、レバノンは2006年のイスラエルとの壊滅的な戦争を繰り返すことになりかねない。そして、レバノンには、この戦争に耐えられるだけの余裕はない。

レバノンの暫定政府はこうした緊張を和らげようと苦心している。「わが国の首相はヒズボラとの対話を続けている」とレバノンのアブダラ・ボウ・ハビブ外相は、アル・アルーリ氏が殺害された直後、CNNに語った。

「私は、こうした決断が彼ら(ヒズボラ)のものではないと考えている。そして彼らは、大規模な戦争に自分たちを縛り付けることを望んでいない。そして、我々はこの件に関して彼らと協力している。戦争が起きないと考えられる理由は多くある。私たち、すべてのレバノン人は戦争を望んでいない」

「私たちは彼らに命令することはできないが、説得することはできる。そして、その方向で事態は動いている」と彼は付け加えた。

実際、レバノンの多くの人々は、イランが代理勢力ヒズボラを通じて自国を人質にしていると感じている。レバノンの市民や、多くのパレスチナ難民は、壊滅的な金融危機の中で、ガザでの出来事よりも、日々の生活を維持することの方を心配している状況だ。

ヒズボラによるレバノン支配に対する国民の不満は、1月7日、ベイルート国際空港の出発案内板がハッキングされ、反戦メッセージが表示されたことで十分に示された。

メッセージの1つは、「ラフィク・ハリーリ空港はヒズボラのものでも、イランのものでもない」というものだった。「ハッサン・ナスララよ、レバノンを戦争に引きずり込んでも味方は見つからない。ヒズボラよ、我々は誰のためにも戦わない」

1月7日、ベイルートの主要空港の案内画面がハッキングされ、ヒズボラの指導者ハッサン・ナスララ師へのメッセージが表示された。(スクリーンショット/X)

メッセージは、ヒズボラが2020年8月4日のベイルート港での壊滅的な爆発や、イランの武器をレバノンに輸入する役割に関する責任があると主張し、こう付け加えた。「我々の港を破壊し、今度は空港に武器を持ち込むことで同じことをしようとしている。空港が国賊(ヒズボラ)の支配から解放されることを願う」

レバノンが1943年にフランスから独立を獲得して以来、外国の影響力に関する不安は繰り返されるテーマであり続けた。地域の国々や武装集団は、レバノンを自らの代理戦争の戦場として利用してきたのだ。

1975年に始まり1990年に終結したレバノン内戦は、同国の歴史の中で最も血なまぐさい時期のひとつであり、キリスト教徒とムスリムの民兵がそれぞれ外国勢力と同盟を結ぼうとする激しい対立が見られた。

この内戦以前から、武装集団はレバノンをテロ攻撃の拠点として利用していた。1971年、パレスチナ解放機構(PLO)の元指導者ヤーセル・アラファト氏は、レバノンをイスラエル攻撃の拠点とした。

ベイルート東部とケセルワンの山岳地帯に集中していたレバノンのキリスト教徒は、自国におけるパレスチナ人の存在を嫌い、その影響力に対抗するためにイスラエルやシリアと同盟を結ぶことを選んだ。彼らにとってこの選択は利益をもたらすように見えたが、イスラエルの動機は大部分が自己中心的であり、レバノン内戦の最盛期には、イスラエル軍がベイルートと南レバノンのPLO拠点を空爆し、海上からも攻撃した。

1982年9月14日、バシール・ゲマイエル大統領が暗殺された後、イスラエルと同盟を結んでいたキリスト教民兵は、ベイルート郊外のサブラとシャティーラの収容キャンプで800人から3500人のパレスチナ人を虐殺するという悪名高い事件を起こした。

イスラエル軍はキャンプを封鎖し、民兵が非武装の市民を標的に殺戮を繰り返すのを傍観していた。世界的な抗議にもかかわらず、この虐殺で逮捕されたり裁判にかけられたりした者はいない。

イスラエルでは、当時のアリエル・シャロン国防相を含む多くの当局者に間接的な責任があるとの調査結果が出た。

1982年8月にPLOがレバノンから公式に撤退したにもかかわらず、イスラエルはそのわずか2カ月後、残存するPLOの潜伏組織と基地をすべて粉砕するという目的を掲げてレバノンに侵攻し、2000年5月までレバノン南部を占領した。

イスラム教シーア派民兵組織ヒズボラが台頭したのは、レバノン内戦の混乱の中だった。

一方、ハーフェズ・アサド政権下のシリアは、レバノン政治に深く関与し、レバノンを傀儡国家に仕立て上げ、ヒズボラはそのジュニアパートナーとして機能した。この時期、シリアは3万人以上の兵士をレバノン全土に駐留させていた。

「当時のことは鮮明に覚えている」と、内戦を経験した67歳のレバノン人定年退職者ワリード・サーディ氏はアラブニュースに語った。「レバノンではなく、シリアに住んでいるように感じた」

「90年代のシリア軍はレバノン軍よりも強大な力を持っていて、都市で暴れ回っていた。彼らに意見することなどできなかった。レバノンは、シリアが望むものは何でも提供した」

サーディ氏によれば、1990年代から2000年代初頭にかけて、レバノンは比較的平和で経済的にも安定した時期を経験したにもかかわらず、年長者たちはシリアの存在に屈辱感と隷属感を感じ続けていたという。

レバノン国境エリアで戦闘を繰り広げるヒズボラとイスラエル軍。(AFP)

「内戦中、多くの人々が行方不明になった。その多くはシリア軍によって連れ去られたのだ。彼らの所在を尋ねることはできない。たとえ尋ねたくても、答えは得られない。シリア政権は、今も昔も残忍だ」

シリア政権を公然と批判していたラフィク・ハリーリ首相が2005年に暗殺された後、国際的な強い圧力を受けたことが理由ではあるが、シリアはレバノンから正式に軍を撤退させた。

それ以来、2011年に始まった自国の内戦の結果、シリア政権の力は大幅に低下し、バッシャール・アサド大統領の政権は、ロシアとイランという残存支援国家の傀儡に過ぎなくなっている。

イスラエルがガザ地区でハマスに対する軍事作戦を続けている今、レバノン社会と国際社会には、ヒズボラがこの危機を利用して、レバノンをイスラエルとイランの戦場に変えることを恐れる声がある。

ヒズボラのナスララ師は、アル・アルーリ氏の死後2度目となる1月5日の演説で、「決断は今、戦場に委ねられた」と述べ、「再現なく、適切な対応がなされるだろう」と語った。

「報復は必然だ」と、ライブ配信された演説の中で彼は述べた。「この規模の侵害に対し、沈黙を貫くことはできない。そうすれば、レバノン全体が危険にさらされることになるからだ」

しかし、アナリストたちは、ハマスとの連帯やガザで苦しむパレスチナ人への同情にもかかわらず、ヒズボラはイスラエルとの戦争を避けたいと考えていると見ており、代わりに、イランに対する潜在的なイスラエルの攻撃に対する抑止力として、武器の在庫を保存することを選ぶだろうとしている。

「ヒズボラは現状を維持し、イスラエルとの全面戦争を回避することを強く望んでいる」と、中東研究所のシニアフェローでジョージ・ワシントン大学エリオット国際関係大学院の非常勤教授であるフィラス・マクサド氏は1月7日、NPRに語った。

「現状はヒズボラにとって非常に都合が良い。なぜなら、彼らは非対称戦争、あるいはグレーゾーン戦争に回帰し、国境を越えてイスラエルを刺激することで、イスラエルはガザから北部国境へと数十万の兵士を再配置し、注意の分散を余儀なくされる。そしてこれにより、ハマスとパレスチナ人への支援を示すことができる。しかしヒズボラは、イスラエルに有利になるかもしれない全面戦争には踏み込まない」

2024年1月5日に撮影されたヒズボラのアル・マナルTVからの画像。レバノンのシーア派運動ヒズボラのハッサン・ナスララ師がテレビ演説をしている。左上は、殺害されたハマス副司令官、サレハ・アル・アルーリ氏(AFP)

イスラエルもまた、自国の都市をヒズボラの強力なミサイルの攻撃にさらすようない、新たな戦線を開くことを避けたいと広く考えられている。

しかし、イスラエル政府内には、ヒズボラがイスラエルの国家安全保障にとってあまりにも大きな脅威であり、これを永遠に無視すべきではないと考える者もいる。これにより、ガザにおけるハマスとの戦いが終わった後の衝突の可能性は常に存在する。

ベイルートのマルコム・H・カー・カーネギー中東センターのシニアフェローであるイェジド・サイ氏は、1月2日に発表された分析の中で、イスラエルがヒズボラに対して攻勢に出ることで、ガザでの軍事作戦を危うくするリスクを冒す可能性は低い、と述べた。

「イスラエル政府内の多くの人々は、ヒズボラを強力な軍事的脅威とみなし、排除することを望んでいるのかもしれない。しかし、それがガザにおける彼らの『仕事を終わらせる』能力を妨げるリスクがある場合、第2の北部戦線を開くことは避けるだろう」と彼は付け加えた。

「ガザ戦争を地域戦争に拡大することは、たとえそれがレバノンに限定されたものであっても、米国および欧州政府をより積極的な外交へと駆り立てるかもしれない。これによりイスラエルのガザにおける軍事行動の自由が制約され、戦後の選択肢が限られる可能性がある」

とはいえ、すぐ近くに敵対的な存在がある以上、イスラエルはいずれヒズボラに対して行動を起こさざるを得ないと感じる可能性がある。

「現在の状況は、ヒズボラとイランにとって好都合かもしれないが、イスラエルとってはそうではない」とマクサド氏はNPRに語った。

「イスラエルには、ハマスよりもはるかに強力なヒズボラが、ハマスが南部イスラエルで行ったことと同じことをするのではないかと恐れて、北部を離れた市民が約7万5000〜8万人いる。彼らは、その問題が解決されない限り、戻るつもりはない」

「したがって、イスラエルは、ヒズボラがその国境エリアから少なくとも先鋭部隊を撤退させるか、そうでなければ戦争すると警告している」

たとえイスラエルとヒズボラの全面戦争が回避されたとしても、ナスララ師の威嚇と民兵組織の国境を越えた攻撃は、それだけでレバノン国家の主権を弱体化させ、非合法化させるのに十分である。

サーディ氏のようなレバノン国民にとって、機能する政府の不在は、この国の政治的麻痺、制度の衰退、経済的不幸が続くことを意味している。

「もはやレバノンは私たちのものではなく、イランのものだ」とサーディ氏は語った。「私たちは国家が設立されて以来、主権を味わったことがない。フランスから始まり、現在はイランで終わる他の国の力に常に振り回されている」

「この国で希望を持つことは虚しいが、希望せずにはいられない。ヒズボラが主人であるイランよりも、レバノンが必要とするものを優先し、われわれが生き残れないような戦争を回避してくれることを望む」

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