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自分自身を見つける旅の中で、日本人ダンサーが魂の変容を語る

1月には、ジャパンデーの一環として、オマーンの日本大使館でパフォーマンスを行う予定だ。(Facebook)
1月には、ジャパンデーの一環として、オマーンの日本大使館でパフォーマンスを行う予定だ。(Facebook)
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27 Nov 2023 05:11:00 GMT9
27 Nov 2023 05:11:00 GMT9

ダイアナ・ファラー

ドバイ:自分のキャリアの中で正しい道を探すことに人生を費やし日本人ダンサー、下地優子(しもじ ゆうこ)。彼女はダンスの表現の中に、それを見いだした。

下地氏はスイスとニューヨークのトップスクールで学び、自分の情熱を追い求めながら、人生で満足のいく場所にたどり着いた。

彼女は幼い頃からバレエを始めた。最初のクラスを受けたのは日本だ。

「私がバレエを始めたきっかけは、ニューヨークのブロードウェイでアイリッシュダンスを見たことです」と彼女はアラブニュース・ジャパンに語った。「当時、私は家族とワシントンDCに住んでいました」

「6歳の時、日本に帰り、母が私をバレエ教室に通わせました。バレエはあらゆるダンスの基本なので、とにかくやってみようと思いました」と彼女は語った。

下地氏はスイスの大学に進学したが、プロのダンサーになるためにわずか4カ月で辞めた。

スイスにいた時、彼女はモダンダンスのクラスに出会い、バレエよりも興味を引かれたと説明している。

「それは、おとぎ話や王子様とお姫様の話ではありませんでした。単なるダンス以上のものだったんです」と下地氏は言う。「それは自分の内なる感情を表現し、さまざまな要素をダンスに取り入れるというものでした」

「古典的なバレエとは対照的に、そのようなダンスを踊ることで、私はとても落ち着いた気分になりました」と、彼女はアラブニュース・ジャパンに語った。

下地氏はバレエダンサー時代に摂食障害に悩まされ、この芸術を否定的に捉えていた。しかし、モダンで表現豊かなダンスを演じている時、彼女は体内のエネルギーを感じ、ネガティブな思考から解放されたという。

新型コロナウイルス感染症によるパンデミックの時、世界中の他の多くのダンサーと同様、彼女もオーディションの機会が少なくなり、公演もまれになっていた。

「20年間ダンスを続けてきた私は、それを諦めなければなりませんでした」と彼女は説明した。それは彼女にとって唯一の収入源だった。

「私はクラスを受けることもなくなり、ダンスが出てくる映画を見ることもできませんでした。そして、私はダンスへの愛と情熱を忘れようとしました」

その時期、下地氏は自らビジネスを始めた。彼女はアートイベントを企画し、高価なアンティークや珍しいアイテムをオークションにかけることで、経済的に安定したように感じた。しかし、2カ月が経過しても、彼女は自分にとって正しいことをしているとは感じていなかった。

「半年前、私はダンスを再開し、自分の情熱に従い始めました」と彼女は語る。「今、私は再びパフォーマンスを行っています」

下地氏はプロのバレエダンサーだった時とは大きく異なるダンスを披露し始めたという。

「今、私は自分のために踊っています。それは自分のための瞑想のようなものです。たまたま通りかかった人が私のダンスを楽しんでくれたら、そして、私のパフォーマンスを見て共感してくれたら、と思います」

「これが私の充実感につながっているのです」と彼女は言った。

今後の彼女は、オークションビジネスとダンスのキャリアの両方を探求し続けるつもりだ。

1月には、ジャパンデーの一環として、オマーンの日本大使館でパフォーマンスを行う予定だ。

下地氏は、まだ自分自身を見つける旅の最中だというが、自分にとって心地よいことをし、自分の経験と日本文化を芸術に取り入れることを確立している。

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