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パレスチナ国家の不在による対立の不可避性

イスラエルによる空爆の中、建物から上がる煙。ガザ市。2023年10月9日。(AFP)
イスラエルによる空爆の中、建物から上がる煙。ガザ市。2023年10月9日。(AFP)
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11 Oct 2023 11:10:12 GMT9
11 Oct 2023 11:10:12 GMT9

イスラエルの政治、軍事、安全保障機関が現在展開中の事態にいかなる決着をつけ得るのかについて検討することは時期尚早である。ハマスが現状をどのように終結させ得るのかについて思いを巡らすことも同様だ。

イスラエル政府の各機関は、今回の展開は極端な敗北であり、イスラエル軍とその抑止力のイメージの毀損はハマスとガザに代償を支払わせることによって克服する必要があるという見解に至るのだろうか?

イスラエル政府は、次の戦争の準備をしつつ、責任を負うべきと考える人々の処罰に専念するのだろうか?

こうした問いの答えを知るためには、この戦争の終結を待つしかない。そして、それは、もし長期化した場合、完全に手に負えない状態に至り、これまでに私たちが目にした悲劇よりもさらに悲惨で深刻な戦闘が発生し得る戦争なのである。

ハマス側はどうなのだろうか?ハマスはどのような決着をつけ得るのだろうか?戦争以外に解決策は無いとの信念を固め、さらなる戦争に備えるのだろうか?その場合、ヨルダン川西岸地区の今後はどのようになるのだろうか?現在の戦闘を契機にヨルダン川西岸地区で今にも暴発しそうになっている緊張は、今後どのような展開をするのだろうか?

戦争拡大の可能性が熾火のように燃え尽きないレバノン・イスラエル国境はどうなのだろうか?レバノン・シリア国境はどうなのだろうか?ロシアがシリアに駐留していても、戦火は拡大するのだろうか?中東地域は全体としてどうなるのだろうか?交戦当事者の同盟国、すなわち米国とイランはどうなるのだろうか?

現在進行中の事態は、イスラエルとガザ地区の間の単なる戦争を越えたものである。それは、イスラエル人とパレスチナ人の間の長く苦い対立における新たな十字路なのだ。

報道されている映像は前代未聞のものだといっても誇張ではない。陸海空からイスラエルを攻撃することは、カッサム旅団にとって容易なことではない。このようにイスラエル軍を混乱させることは簡単なことではない。これほど多くの死亡者を出し、これほど多くの人々を負傷させ、これほど多くの人々を捕虜にすることは手軽に出来ることではない。このような攻撃を準備し、イスラエル諜報機関の意表を突くことは単純なことではないのだ。イスラエル軍が包囲し、厳重に監視していると確信していたガザがそれを為したのである。

まさに前代未聞の光景だ。ハマスの戦闘員がガザ周辺の入植地に進入し住民を人質に取るというのはは他愛ないことではない。カッサム旅団にとって、何千発ものロケット弾をイスラエルに撃ち込むことは易易たることではない。

戦いの初日は、何にもまして世論のせめぎ合いだった。イスラエル正規軍は、即座に報復することも、付け込まれた安全保障上の死角に対処することもできなかった。ベンヤミン・ネタニヤフ首相自身、イスラエルが戦争状態にあり、予備役を招集する必要があることを認めざるを得なかった。

中東の人々の記憶には、長く苦い戦争の記憶が数多く残っている。そうした記憶の中心にあるのが、パレスチナとイスラエルの対立だ。この長期にわたるレッスンを為す多数の章の内の1つには、戦争でも調停でも対立は解消され得ないと示されている。

現行のイスラエル政府には、日常的にパレスチナに対する挑発を行う人々がいる。その結果がこの惨状なのだ。

ガッサン・シャーベル

イスラエル軍は、1967年に大勝利を収めた。アラブ軍を破り、より広い地域を占領したのだ。

しかし、この戦争が、敗者を降伏に至らしめることはなかった。それどころか、1973年にはアラブは激しい報復を行った。イスラエルは不意を突かれたが、米国の支援を受け、アラブの勝利は阻まれたのだった。この戦争の衝撃をもってしても、イスラエルが対立を終結する方法として平和を選択することは無かった。イスラエルは、ガザからのエジプトの撤退を十分な成果と看做したのだ。エジプトが撤退すれば戦争は終結し、「パレスチナの大義」はやがて忘却されるのだろうと、イスラエルは誤解していたのだ。

1970年代に、ベイルートはパレスチナの大義の中心地となった。レバノン・イスラエル国境での衝突は、熱いメッセージだった。パレスチナ人たちは、自らの権利の要求を強調していた。イスラエルは、パレスチナ人からそれらの権利を剥奪しようとしていたのだった。1982年、イスラエルは、パレスチナ解放機構(PLO)をアラブ・イスラエル間の前線に残されたその最後の足場から根絶すべきだとの結論に至った。イスラエル軍は、レバノンに侵攻し、ベイルートを包囲して、PLOを撤退させた。イスラエルは、当時、パレスチナの大義は流浪のうちに風化するだろうと考えていたのだ。

中立的なオブザーバーは、イスラエルは戦争の連鎖を断つ和解の方向へ対立を導く絶好の機会を逸失したと確信している。ホワイトハウスでのヤセル・アラファトPLO議長とイツハク・ラビン首相の握手がもたらしたチャンスは失われてしまったのだ。それは、それぞれの環境において完全な正当性を有していた2人の戦士が交わした握手だった。イスラエルは、アラファト議長の政治的、軍事的正当性、そしてパレスチナ、アラブ、イスラムの正当性の持つ重みを過小評価していたのだ。アリエル・シャロンは、アラファト議長のボイコットが、パレスチナ人の国家樹立の夢を粉砕すると誤解していた。

イスラエルは、また、ベイルートで2002年に開催されたアラブ連盟首脳会議で採択されたアラブ和平イニシアチブがもたらした機会をも無駄にしてしまった。この提案は、イスラエルと並存するパレスチナ国家の樹立を保証することで対立を解決しようとする懸命な尽力の成果だった。提案を受け入れた場合には、イスラエルを中東地域に包含するとの誓約もあった。

イスラエルはその優越感と自国の力強さへの慢心から、より多くの機会を逸した。9.11後の世界と米国のイラク侵攻が、パレスチナ紛争の本質を無視し現状を押し通す絶好の機会を提供してくれたのだとイスラエルは確信してしまった。この確信はパレスチナ人からあらゆる希望を奪い、イスラエルの振舞は交渉による解決を期待していた穏健派の立場を弱めた。イスラエル社会は、さらに右傾化を深めることになったのだ。

現行のイスラエル政府には、日常的にパレスチナに対する挑発を行う人々がいる。その結果がこの惨状なのだ。

戦争の余燼は複数の方向に吹き飛ばされて新たな火種となる可能性がある。しかし、破壊と戦争が拡大したとしても、イスラエルが予想だにしなかった事態を目の当りにした、あの最初の日に展開した異常な光景が消え去ることはない。

この対立は、いくつかの教訓を導き出すことによってのみ解決に至り得る。第1に、パレスチナ人が独立国家を持つ権利を承認することである。これ以外の選択肢は、新たなさらに激しい戦争が、より多くの、特に民間人の生命を奪い、巨額の経済的損失を引き起こすことをただ漫然と待つことに等しい。

問いが1つ残る。戦いが終わった時、戦闘員たちはどのような運命を迎えるのだろうか?深い思慮と苦渋の決断無しに、戦闘員たちはこの慢性的な対立から抜け出すことは出来ない。パレスチナ国家の樹立こそが、この地域の安定を確立するための最初の一歩だ。現在起こっているような戦闘は、パレスチナ国家が樹立されなければ、今後も発生し続けるだろう。

  • ガッサン・シャーベル氏は、日刊新聞「アッシャルクル・アウサト」の編集長を務めている。
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