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フィリップ殿下と湾岸諸国:永遠の友情の物語

写真は1952年9月26日にバルモラル城公園で撮影されたもので、エリザベス2世が娘のアン王女(右から2人目)、フィリップ王子(右)、イラク王フェイサル2世(左から2人目)、イラクの摂政と一緒に歩いている(AFP通信/資料写真)
写真は1952年9月26日にバルモラル城公園で撮影されたもので、エリザベス2世が娘のアン王女(右から2人目)、フィリップ王子(右)、イラク王フェイサル2世(左から2人目)、イラクの摂政と一緒に歩いている(AFP通信/資料写真)
1952年9月26日、バルモラル城の公園をイラク国王フェイサル2世とともに歩く英国王室(AFP通信/資料写真)
1952年9月26日、バルモラル城の公園をイラク国王フェイサル2世とともに歩く英国王室(AFP通信/資料写真)
1955年6月19日、ウィンザー城でエリザベス2世(左)、フィリップ王子、チャールズ皇太子、アン王女とともにポーズをとるヨルダンのフセイン国王(左から2人目)とディナ王妃(右)(AFP通信/資料写真)
1955年6月19日、ウィンザー城でエリザベス2世(左)、フィリップ王子、チャールズ皇太子、アン王女とともにポーズをとるヨルダンのフセイン国王(左から2人目)とディナ王妃(右)(AFP通信/資料写真)
1961年3月にテヘランを公式訪問中のエリザベス女王2世とフィリップ王子が、イランのシャー・モハマド・レザ・パーレビと彼の妻ファラー・パーレビと共にポーズをとっている(AFP通信/資料写真)
1961年3月にテヘランを公式訪問中のエリザベス女王2世とフィリップ王子が、イランのシャー・モハマド・レザ・パーレビと彼の妻ファラー・パーレビと共にポーズをとっている(AFP通信/資料写真)
2001年11月06日、ウィンザー城で開催された国賓晩餐会に出席する前にポーズをとるイギリスのエリザベス2世(左から右)とヨルダンのアブドラ国王2世、ラニア王妃、エディンバラ公(AFP通信/資料写真)
2001年11月06日、ウィンザー城で開催された国賓晩餐会に出席する前にポーズをとるイギリスのエリザベス2世(左から右)とヨルダンのアブドラ国王2世、ラニア王妃、エディンバラ公(AFP通信/資料写真)
2013年4月30日、ウィンザーの町で行われたセレモニアル・ウェルカムの際、UAEのシェイク・ハリファ・ビン・ザーイド・アルナハヤン大統領の隣に立つ英国のエリザベス2世(左)と夫のフィリップ王子(右)(AFP通信/資料写真)
2013年4月30日、ウィンザーの町で行われたセレモニアル・ウェルカムの際、UAEのシェイク・ハリファ・ビン・ザーイド・アルナハヤン大統領の隣に立つ英国のエリザベス2世(左)と夫のフィリップ王子(右)(AFP通信/資料写真)
サウジアラビアのアブドラ国王(右)が、サウジ国王の訪問の初日を終え、ロンドンのバッキンガム宮殿で行われた国賓晩餐会の前に、エリザベス2世(中央)とエディンバラ公(左)と会談している(AFP通信/資料写真)
サウジアラビアのアブドラ国王(右)が、サウジ国王の訪問の初日を終え、ロンドンのバッキンガム宮殿で行われた国賓晩餐会の前に、エリザベス2世(中央)とエディンバラ公(左)と会談している(AFP通信/資料写真)
2007年10月30日、サウジアラビアのアブドラ国王(前列中央)が、英国のフィリップ殿下(前列右)に付き添われ、ロンドンのモールに沿った国主催の馬車の行列の前に、ホースガードの衛兵を閲兵している(AFP通信/資料写真)
2007年10月30日、サウジアラビアのアブドラ国王(前列中央)が、英国のフィリップ殿下(前列右)に付き添われ、ロンドンのモールに沿った国主催の馬車の行列の前に、ホースガードの衛兵を閲兵している(AFP通信/資料写真)
2007年10月30日、サウジアラビアのアブドラ国王(左から2人目)をロンドンのバッキンガム宮殿に迎える英国のエリザベス女王2世(左から3人目)とフィリップ王子(左)(AFP通信/資料写真)
2007年10月30日、サウジアラビアのアブドラ国王(左から2人目)をロンドンのバッキンガム宮殿に迎える英国のエリザベス女王2世(左から3人目)とフィリップ王子(左)(AFP通信/資料写真)
2012年5月18日、ウィンザー城でバーレーンのハマド・ビン・イッサ・アル・ハリファ国王(左から2人目)とシェイカ・サビカ・ビント・イブラヒム・アル・ハリファ(左から3人目)に挨拶する英国のエリザベス2世女王(右から3人目)とフィリップ王子(右から2人目)(AFP通信/資料写真)
2012年5月18日、ウィンザー城でバーレーンのハマド・ビン・イッサ・アル・ハリファ国王(左から2人目)とシェイカ・サビカ・ビント・イブラヒム・アル・ハリファ(左から3人目)に挨拶する英国のエリザベス2世女王(右から3人目)とフィリップ王子(右から2人目)(AFP通信/資料写真)
2010年11月24日、首長国首都にあるシェイク・ザイード・グランド・モスクを訪問するために到着した英国のエリザベス2世と夫のフィリップ王子(左)と一緒に立つアブダビの皇太子シェイク・ムハンマド・ビン・ザイード・アルナハヤン(AFP通信/資料写真)
2010年11月24日、首長国首都にあるシェイク・ザイード・グランド・モスクを訪問するために到着した英国のエリザベス2世と夫のフィリップ王子(左)と一緒に立つアブダビの皇太子シェイク・ムハンマド・ビン・ザイード・アルナハヤン(AFP通信/資料写真)
2010年11月25日、UAE訪問を終えてマスカットに到着した英国のエリザベス2世女王とフィリップ殿下(中央)を出迎えるオマーンのスルタン・カブース・ビン・サイード(AFP通信/資料写真)
2010年11月25日、UAE訪問を終えてマスカットに到着した英国のエリザベス2世女王とフィリップ殿下(中央)を出迎えるオマーンのスルタン・カブース・ビン・サイード(AFP通信/資料写真)
2010年11月26日、マスカットで行われた公式歓迎式典で、オマーンのスルタン・カブース・ビン・サイード(右)に歓迎される英国のエリザベス女王2世とエディンバラ公(左)(AFP通信/資料写真)
2010年11月26日、マスカットで行われた公式歓迎式典で、オマーンのスルタン・カブース・ビン・サイード(右)に歓迎される英国のエリザベス女王2世とエディンバラ公(左)(AFP通信/資料写真)
2010年11月27日、マディナット・アル・ヒダヤットで開催され、オマーンの指導者カーブース・ビン・サイード首長が出席したオマーン王室騎兵隊を含む馬術ショーに参加する英国のエリザベス女王2世とフィリップ王子(左)(AFP通信/資料写真)
2010年11月27日、マディナット・アル・ヒダヤットで開催され、オマーンの指導者カーブース・ビン・サイード首長が出席したオマーン王室騎兵隊を含む馬術ショーに参加する英国のエリザベス女王2世とフィリップ王子(左)(AFP通信/資料写真)
英国を訪問した際、昼食のためにバルモラル城に到着したサウジアラビアの皇太子(当時)、アブドラ・ビン・アブドゥル・アジス・アル=サウード王子の隣に立つ女王とエディンバラ公(AFP通信/資料写真)
英国を訪問した際、昼食のためにバルモラル城に到着したサウジアラビアの皇太子(当時)、アブドラ・ビン・アブドゥル・アジス・アル=サウード王子の隣に立つ女王とエディンバラ公(AFP通信/資料写真)
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10 Apr 2021 05:04:10 GMT9
10 Apr 2021 05:04:10 GMT9
  • 王室夫妻は、英国と湾岸諸国との歴史的な関係を維持することを特に重視していた
  • 1965年2月、フィリップ殿下はファイサル国王の招待客としてリヤドを訪れ、1979年には国賓として女王と共に再来した

ジョナサン・ゴーナル

ロンドン:エリザベス女王の長きにわたる在位期間中、女王の「力となり、支えとなった」英国のフィリップ殿下が金曜日に逝去されたことで、世界中が悲しみに包まれているが、 その中でも王室夫妻が永続的で温かい関係を築いていた湾岸諸国での悲しみは格別だ。

アラブ首長国連邦(UAE)、バーレーン、オマーンの首脳が王妃に哀悼の意を表している。UAEからは、ハリファ・ビン・ザーイド・アル・ナヒヤーン大統領、ムハンマド・ビン・ラーシド・アル・マクトゥーム首相(ドバイ首長)、ムハンマド・ビン・ザーイド・アル・ナヒヤーン・アブダビ皇太子が弔電を送った。

バーレーンのハマド・ビン・イサ・アル・ハリファ国王は、女王、英国政府、国民への弔辞の中で、フィリップが英国とその友好的な国民のために尽力したことを称賛した。オマーン通信社の声明によると、「スルタン・ハイサム・ビン・タリクは、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国の女王であるエリザベス2世陛下と英連邦大統領に弔電を送った」とのことだ。

1921年6月10日に生まれたエディンバラ公は、最近の1カ月間の入院生活を経て、100歳の誕生日まであと2カ月というところで亡くなった。彼の人生は驚くべき世紀であった。

 

重要な日付

* 1921年6月10日 – ギリシャのコルフ島で生まれる。

* 1922年12月5日 – 国王コンスタンティヌス1世が倒されたため、家族でパリに逃れる。

* 1939年 – 英国海軍に入隊。

* 1947年 – ギリシャとデンマークの王室の称号を放棄し、英国に帰化する。

* 1947年 – ウェストミンスター寺院でエリザベス王女と結婚し、エディンバラ公となる。

* 1952年 – 妻のエリザベスが女王になる。

* 1956年 青少年の自己啓発を目的とした「エディンバラ公賞」を創設。

* 1961年 – 世界自然保護基金UKの初代会長に就任。

* 2017年 – 96歳で王室の職務から退く。

* 2021年4月9日 – ウィンザー城にて死去、99歳。

ギリシャとデンマークのフィリップ皇太子としてコルフ島に生まれ、1939年には英国王立海軍に入隊して第二次世界大戦で活躍した。北海、インド洋、地中海で活躍し、クレタ島の戦いにも参加した。

マタパン岬の戦いではその功績が認められ、ギリシャ戦十字章を授与され、HMSウォレスに乗船して連合軍のシチリア侵攻に参加した。

イギリス太平洋艦隊の駆逐艦HMSウェルプに乗船し、1945年9月2日の日本軍の正式な降伏と第二次世界大戦の終結に東京湾で立ち会った。

ギリシャ・デンマークのフィリップ皇太子は、1934年に後に英国女王となるエリザベス王女と初めて出会った。戦争が始まると、当時18歳だったフィリップ王子と13歳のエリザベス王女は、お互いに手紙を書き始めた。フィリップ王子は英国海軍で世界を航海し、王女は英国陸軍の女性部門である補助兵站部(ATS)に所属し、ブリッツの爆撃に耐える中で、手紙はお互いの気持ちを高め合い、二人は固い友情で結ばれた。

数字で見る

* 143 – フィリップ殿下が公式に訪問した国。

* 22,191 – 英国史上最長の領事としての単独活動。

停戦から2年後の1947年7月、二人は婚約した。

婚約発表に先立ち、王子はギリシャとデンマークの称号を放棄し、母方の祖父母の名前であるマウントバッテンを名乗り、英国に帰化した。

颯爽とした美貌と優れた軍歴で、女王の婚約者はたちまちイギリス国民の心をつかんだ。

1947年11月20日にロンドンのウェストミンスター寺院で行われたきらびやかな結婚式は、英国人のみならず、戦争で疲弊していた大英帝国の精神をも高揚させる華やかなものだったが、その前夜、フィリップは王女の父であるジョージ6世からエディンバラ公に任命され、殿下という称号を与えられた。

2007年10月30日、サウジアラビアのアブドラ国王(前列中央)が、モールを通る国主催の馬車の行列を前に、英国のフィリップ殿下(前列右)と一緒にホースガードで衛兵を閲兵する(AFP通信/資料写真)

1952年2月6日、王子と王女が最初の英連邦周遊に出発してから数日後、夫妻はエリザベスの父である国王が亡くなったという知らせを受けた。

二人は自宅に直帰し、その瞬間から、第二次世界大戦中に英国のために勇敢に働いた彼は、新たに重要な役割を担うことになった。

その後69年間、ヴィクトリア女王の曾孫である彼は、エリザベス女王のそばを決して離れず、各国首脳の接待や世界各地への国賓訪問など、あらゆる面で女王をサポートしてきた。

英国を訪問した際、昼食のためにバルモラル城に到着したサウジアラビアの皇太子(当時)、アブドラ・ビン・アブドゥル・アジス・アル=サウード王子の隣に立つ女王とエディンバラ公(AFP通信/資料写真)

会話上手で、ウィットに富み、ドライなユーモアのセンスを持ち、堅苦しい儀礼を茶目っ気たっぷりに無視するフィリップは、王政という威圧的な顔つきに人間的な顔を向け、女王に会うことをためらう人々の雰囲気を和らげていた。

エリザベス女王とフィリップ王子は、その間ずっと、英国と湾岸諸国の君主との特別な関係を維持することを特に重要視していた。

 

エリザベス女王二世とフィリップ王子によるアラブ諸国への公式訪問

* クウェート:1979年2月12日〜14日

* バーレーン:1979年2月14日〜17日

* サウジアラビア:1979年2月17日~20日

* カタール:1979年2月21日〜24日

* UAE:1979年2月24日〜27日

* オマーン:1979年2月28日〜3月2日

* チュニジア:1980年10月21日〜23日

* アルジェリア:1980年10月25日〜27日

* モロッコ:1980年10月27日〜30日

* ヨルダン:1984年3月26日〜30日

* UAE:2010年11月24〜25日

* オマーン:2010年11月25〜28日

1965年2月、フィリップ王子はサウジアラビアのファイサル国王の来賓としてリヤドを訪問した。その2年後、ファイサル国王がロンドンを公式訪問した際、フィリップ王子との面識を新たにした。

英国は、19世紀に締結された条約により、150年以上にわたって休戦オマーンと呼ばれる国々と最も緊密な関係を築いてきたが、1971年12月1日にその条約が破棄された。

2013年4月30日、ウィンザーの町で行われたセレモニアル・ウェルカムで、UAEのシェイク・ハリファ・ビン・ザーイド・アルナハヤン大統領の隣に立つ英国のエリザベス2世女王(左)と夫のフィリップ王子(右)(AFP通信/資料写真)

アブダビ首長のザイード・ビン・スルタン・アルナヒヤンの主導により、休戦オマーンはアラブ首長国連邦となった。しかし、英国と湾岸諸国、英国王室と湾岸諸国の王室との結びつきは、王室夫妻の努力もあって、強固なものとなっていた。

英国・サウジアラビア王室間の訪問の主な日付

* 1967年5月9日〜17日:ファイサル国王が英国を公式訪問。

* 1979年2月17日〜20日:エリザベス2世とフィリップ殿下がサウジアラビアを訪問。

* 1981年6月9日~12日:ハーリド国王が英国を公式訪問。

* 1987年3月24〜27日:サウジアラビアのファハド国王が英国を公式訪問。

* 2007年10月30日~11月1日:アブドラ国王が英国を公式訪問。

 

1979年、UAEを訪問したエリザベス女王の傍らにはフィリップ王子がおり、この日のために湾岸に出航したロイヤルヨット「ブリタニア」に乗ったシェイク・ザイードをもてなした。

それから21年後の2010年、エリザベス女王とフィリップ殿下がアブダビを再訪し、息子のアブダビ皇太子シェイク・ムハンマド・ビン・ザイード・アル・ナハヤンを伴って、シェイク・ザイードの墓とグランドモスクを訪れた際には、その場が非常に印象的だった。

アブダビのシェイク・ムハンマド・ビン・ザーイド・アル・ナハヤン皇太子と一緒に、首長国首都のシェイク・ザーイド・グランド・モスクを訪れた英国のエリザベス女王2世とフィリップ皇太子(左)(2010年11月24日)(AFP通信/資料写真)

フィリップ殿下が中東の国家や指導者と多くの会合を行ったアルバムの写真の中には、その後の出来事が影を落としているものがある。

例えば、1952年9月26日に撮影されたモノクロ写真には、娘のアン王女の手を握ったフィリップ王子が、スコットランドのバルモラル城の敷地内を、女王と、ゲストである若き国王フェイサル2世とイラクの摂政アブドラ王子と一緒に歩いている様子が写っている。両者は1958年7月にフェイサルが凄惨なクーデターで失脚した際に、家族や職員とともに惨殺されている。

1961年3月、王室夫妻は18年後に衝撃的な変化を遂げることになるイランを国賓として訪問した。訪イラン時の写真には、フィリップ王子とシャー・モハンマド・レザー・パフラヴィーが、王妃とファラ・パフラヴィーの傍らで満面の笑みを浮かべている姿が写っている。1979年、イランの王政は、地域に衝撃を与えたイスラム革命によって一掃された。

 

中近東・北アフリカの指導者による英国訪問

* 1956年7月16日〜19日:イラク国王ファイサル二世。

* 1959年5月5日〜8日:イランのシャー・モハンマド・レザ・パーレビ。

* 1966年7月19日〜28日:ヨルダン国王フセイン一世とムナ王女。

* 1967年5月9日〜17日:サウジアラビアのファイサル国王。

* 1981年6月9日〜12日:サウジアラビア国王カリード。

* 1982年3月16日〜19日:オマーンのスルタン・カブー。

* 1984年4月10日〜13日:バーレーン首長シェイク・イザ。

* 1985年11月12日〜15日:カタール首長シェイク・ハリファ。

* 1987年3月24日〜27日:サウジアラビア国王ファハド。

* 1987年7月14日〜17日:モロッコ国王ハッサン二世。

* 1989年7月18日〜21日:アラブ首長国連邦のシェイク・ザイード大統領。

* 1991年7月23日〜26日:エジプト大統領ホスニ・ムバラクと大統領夫人スザンヌ・ムバラク。

* 1995年5月23日〜26日:クウェート首長シェイク・ジャービル。

* 2001年11月6日〜9日:ヨルダン国王アブドゥラ二世とラニア王妃。

* 2007年10月30日〜11月1日:サウジアラビアのアブドラ国王。

* 2010年10月25日〜28日:カタール首長シェイク・ハマド。

* 2012年11月27日〜29日:クウェート首長シェイク・サバーハ。

* 2013年4月30日〜5月1日:アラブ首長国連邦のシェイク・ハリファ大統領。

 

しかし概して、1955年にヨルダンのフセイン国王とディナ王妃が新婚旅行で英国を訪問したときの写真、2001年にヨルダンのアブドラ国王とラニア王妃が4日間の日程で英国を訪問したときの写真、2007年にサウジアラビアのアブドラ国王が訪問したときの写真など、フィリップ殿下と中東地域との長い関係を示す写真は、幸せな記憶ばかりを呼び起こす。

また、国賓訪問時や散歩中に撮影されたフィリップ殿下の長年に渡る写真には、楽しそうに笑う顔が多く見られ、フィリップ殿下の本質や、王室間の絆を保ち、王政を身近なものにするためにフィリップ殿下が果たした役割をよく表している。

エリザベス女王は、1997年に夫妻の金婚式を記念して行ったスピーチの中で、このように述べている。「彼はとても単純に私の力であり、長年付き添ってくれました。私、そして彼の家族全員、そしてこの国や他の多くの国々は、彼が主張するよりも、また私たちが知るよりも大きな恩義を彼に感じています。」

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Twitter: @JonathanGornall

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