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イラクのエリートたちの痛いところを突くべき時がきた

国家の汚職や公共サービスの欠陥、高い失業率に対してバグダッドのタヤラン広場でデモを行う人々に対し、催涙ガスを発射するイラク警察。(AFP)
国家の汚職や公共サービスの欠陥、高い失業率に対してバグダッドのタヤラン広場でデモを行う人々に対し、催涙ガスを発射するイラク警察。(AFP)

イラクは現在のアラブ中東地域で最も重要な国である。同国は常に争いの場となってきた――古くはローマとペルシャが国境を争っていた――のであり、常に重大な事が起こってきた。

7世紀に起きたカーディシーヤの戦いとカルバラーの戦いは歴史を変えた。その100年後、黒旗を掲げたアッバース朝が西部から蜂起し、ダマスカスでウマイヤ朝を打ち倒した。9世紀には、南部の湿地を中心にザンジュの乱が起こった。第一次世界大戦時には、メソポタミアでの激しい戦いの後、現在のアラブ世界の北東国境が固定化されることになった。

さらに最近になると、イラクは夢が消え去る地となった。今になって振り返ってみれば、汎アラブ主義であるナセリズムにとっての最後の真の勝利となったのは1958年の血に塗れた革命だった。1980年代のイラン・イラク戦争、1990~91年にかけての湾岸戦争、2003年のイラク侵攻によってもたらされた苦難といったすべての出来事は、イラクだけでなく現在の同地域全体の状況の長きに渡る前兆だったように思える。アラブナショナリズム、バアス主義、イスラム主義から強制的に押し付けられた民主主義まで、同地域は幅広い政治的イデオロギーの破壊の試験場となっている。

現在はバグダッドやバスラ、ナーシリーヤ、ヒッラ、ナジャフ、カルバラーの路上で起きている政治的動きは、幻想の終焉、そして空白を埋めるためのより良い、よりしっかりした、本物のなにかを求めて苦悩する市民たちの動きを表している。

デモ参加者たちは、強欲で暴力的なエリートたちによる腐敗したセクト主義システム(米国政府によって作られ、イラン政府が完成させた)の終焉と、イラクの大多数を占める国民たちを代表し、声を聞き、物質的な必要性を満たしてくれる新たな政治体制を求めている。

彼らはスンナ派でもシーア派でも、クリスチャンでもヤズィーディーでもクルド人でも、アラブ人でもなく、イラク人としてこれを求めている。このようなアイデンティティが重要ではないということではない、アイデンティティは重要だ。だが、彼らはセクト主義の実業家たちによってアイデンティティが搾取されることにうんざりしている。彼らはまともに機能する国家の能動的な国民として、すべてのイラク人が誇りを持てる真の国家政治を求めているのだ。

それはレバノン、そして当然ながらイランにも当てはまることだろう(あるいはアルジェリアでもそうかもしれない。同国では支配権を握っている軍上層部によるゲリマンダーへの軽蔑を示すために、デモ参加者たちが投票所の周りに壁を建てるという行動に出ている)。

各国のデモ参加者たちは次のようなスローガンを掲げている。「お前たち全員が問題だ」、「私たちは国家を求めている」、「我々はレバノン人/イラク人だ、イラン人ではない」、「外国での冒険ではなく、この国のことに集中しろ」。ある新しい革命新聞はウム・クルスームの「私たちこそが市民だ。私たちにとって不可能なことはない」という歌詞を引用している。

YouTubeには、カルバラーにあるイマーム・フサイン寺院の前で伝統的な宗教の暗唱者がデモ参加者たちに対して天からの加護を祈念するという驚くべき動画が投稿されている。彼はイラク政治には名誉に値する人間は1人もおらず、権力を握っている人間たちは「全員が盗人だ」と述べている。

デモは国家単位のものであり、自国の政府を標的とし、他国の問題に不当に介入を行う者たち――主にイランだが、イランの他にもそうした介入を行う者たちはいる――への批判を行っているが、彼らの同情心はより広範囲にわたっている。

サー・ジョン・ジェンキンス

 

つまり、イラク、レバノン、イランのデモ参加者たちは、抑圧の構造に対抗するためにお互い支え合っているのである。

この問題が決着するのはイラクになるだろう。これは他のどの国よりもイラクにとって重要なのだ。イラクは、1980年代に台頭したルーホッラー・ホメイニーにとって最も困難な外交課題だった。ナジャフは、ゴム市に教義的、精神的に不可侵の権威を打ち立てようとしたアリー・ハーメネイーの野望に対する脅威となった。1920年代初頭の一連の流れを繰り返すかのように、イランはイラクのシーア派や指導者たちの取り込み、任命、脅迫を過剰に行い、同国を潰そうとしてきた。

その動きは非常に深刻化している。2ヶ月以上前にデモが始まった当初から、影の部隊――この部隊は国民動員軍およびバドーを支配する内務省との関連がほぼ確実である――が殺傷兵器によってデモ参加者たちを標的にしてきた。先週、デモ参加者の一団がバグダッドのタハリール広場などの主要な場所に戻る途中で誘拐や襲撃を受け――今回は銃だけでなく刃物も使われ、死者も出た――、その隠蔽のためにカウンターデモが利用された。

8日、有名活動家がバグダッドからカルバラーへの帰宅途中、バイクに乗った2人の男に暗殺された(監視カメラには凄惨な映像が映っていた)。同日、カルバラーをバスで出発したデモの一団が行方不明となった。9日、米国とイラクの合同基地に4発のロケット砲が撃ち込まれた。イラクにおける米国の施設にこのような攻撃が行われたのは、この5週間で9回目だ。さらに、ナジャフにあるムクタダー・アッ=サドルの自宅にはドローンによる不可解な攻撃が行われた。

一方、政治執行部はガーセム・ソレイマーニーとヒズボラのアブ・ザイナブ・アル=カウスラーニーと共に、政界の黒幕に受け入れられそうな新首相の選定を行っている。彼らは立憲主義や憲法の改正などを謳っているが、実際にそれを実行するつもりはない。また、圧力を緩和するため、汚職との戦いのアピールとして時折生贄を捧げている。

だが圧力を弱めるべきではない。彼らは本気ではないからだ。現在は、完全な政治崩壊と内戦への逆戻りがリスクとなっている。国際社会は、この問題に意識を集中し、地雷原を切り抜けるための様々な方策を有している。国連は現場で非常に積極的に動いているが、そこには支援が必要だ。

明るい材料として、米国の当局はイランが要求する暴力的な摘発を先導したと見られるイラクの要人たち――その代表が殺人にも手を染めてきたアル=カザリ兄弟である――への制裁を行った。しかしさらなる行動が必要だ。結局のところ、標的はまだ無数にいるのだ。

制裁が過剰になってしまう可能性があるのは真実だ。だが、ワシントン・インスティチュートのマイケル・ナイツが指摘しているように、多くのイラクのエリートたちが不正に得た金を国外――多くの場合は英国である――に送金していることを考えれば、適切な制裁によって彼らの痛いところを突くことができるだろう。

10年前に駐イラク英国大使を務めていた当時、私は汚職の問題に人々の関心を向けようという試みを繰り返し行った。私の試みはうまく行かなかった。だが現在、影の力によって人々の血が流されている。エリートたちの移動の自由を奪い、彼らの友人たちやその問題の根源を断ち切るために我々は今すぐにでも動かなければならない。

サー・ジョン・ジェンキンスはポリシー・エクスチェンジのシニアフェロー。2017年12月までバーレーンのマナーマで国際戦略研究所(IISS)の中東通信局長を務めた。また、イェール大学のジャクソン国際情勢研究所でシニアフェローを務めた。また、2015年1月まで駐サウジアラビア英国大使を務めた。

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