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生き残った自撮り:日本のフォトブース、プリクラはくっ付いて離れない

30 Jul 2020
2020年7月21日に撮られたこの写真には、東京の『プリクラ』又はプリント倶楽部として知られている日本スタイルのフォトブースで、自撮りしたプリント写真を見せているティーンエイジャーたちが写っている。(AFP通信)
2020年7月21日に撮られたこの写真には、東京の『プリクラ』又はプリント倶楽部として知られている日本スタイルのフォトブースで、自撮りしたプリント写真を見せているティーンエイジャーたちが写っている。(AFP通信)
2020年7月21日に撮られたこの写真には、東京の『プリクラ』又はプリント倶楽部として知られている日本スタイルのフォトブースを利用して、写真を見ているティーンエイジャーたちが写っている。(AFP通信)
2020年7月21日に撮られたこの写真には、東京の『プリクラ』又はプリント倶楽部として知られている日本スタイルのフォトブースを利用して、写真を見ているティーンエイジャーたちが写っている。(AFP通信)
2020年7月21日に撮られたこの写真には、東京の『プリクラ』又はプリント倶楽部として知られている日本スタイルのフォトブースで、ポーズを取っているティーンエイジャーたちが写っている。(AFP通信)
2020年7月21日に撮られたこの写真には、東京の『プリクラ』又はプリント倶楽部として知られている日本スタイルのフォトブースで、ポーズを取っているティーンエイジャーたちが写っている。(AFP通信)
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Updated 30 Jul 2020
30 Jul 2020

東京:日本の女子生徒2人が長い鏡の前で髪型を整えて、最高のシャッターチャンスに備えている。しかしその2人はスマートフォンの自撮りをしているのではなく、『プリクラ』のフォトブースを利用している。

ずっと以前からあるこのフォトブースは、スマートフォン時代になっても、世間の若者の中でノスタルジックな価値があると考える者がいるため、近頃ちょっとしたカムバックを果たしている。

撮影した写真の修整、拡張、装飾が非常にたくさんできることが特長の日本でデビューしたプリクラは、とりわけ「カワイイ」とか、可愛いものを作り出すことに目がないティーンエイジャーや若い女性たちの間で、25年経っても今でも人気だ。

そして、スマートフォンや、ますます高度化する写真修正アプリと競合しているにもかかわらず、曲がりなりにも、日本のある企業はプリクラの時代を超えて人を惹きつける力を当てにし、今年新たなモデルを本格展開する。

やまだ ののか さん(17歳)は、ほぼ10年間プリクラファンであり、自分と友人たちがプリクラを週に数度は利用しているとAFP通信に語った。

「クラスの女の子たちは全員プリクラを撮ります」と、ののかさんは東京都渋谷区のデパートで自分の写真を撮る支度をしながら語った。

「8歳のとき、初めてプリクラを利用しました。そのとき、カメラのレンズが高い位置にありすぎたので、つま先立ちしなければならなかったのです」と、ののかさんは笑った。

プリクラはシンプルなスマートフォン以上のことができると、ののかさんは付け加えた。

「プリクラで撮ると、よりカワイク見え、顔を変えることができます」と、ののかさんは語った。

「この写真をInstagramに載せたいです…この写真画像は照明がばっちりで、自分が良く写っています」

プリクラ初代機は日本の企業、アトラスが開発し、アトラスは1995年7月、セガと提携して初代機を発売した。

プリクラのブースは日本のゲームセンターで、あっという間に人気のアミューズメントマシンとなった。ゲームセンターには、自分の写真撮影を待つ女子生徒たちの長い列ができたことにより、以前は男性が主流だったゲームセンターの顧客基盤は変化した。

すぐさま他社も市場に参入し、この市場は1997年まで、年間9億5,000万ドルの価値があった。

しかし、自撮り時代が到来し、この市場に大打撃を与えた。大抵16枚くらいの写真付きのシートにおよそ400円(3.8ドル)を支払うより、携帯電話でユーザーが無料で写真の修整がどんどんできるようになったからだ。

中には倒産したメーカーもあれば、もっと利益の出る商売を求めて、プリクラ事業を断念するメーカーもあった。

現在、1社だけが残っている。つまり、日本の電気機器メーカー、オムロンの元系列会社だったフリューだ。

「弊社は1997年に、オムロンのテクノロジーを使って、顔を戯画化する最初の機器を世に出しました。これは大失敗でした」と、フリューの広報担当者、ひきた ゆり氏は認めた。

「若い女の子が求めているものと、これは何の関係もありませんでした。この機器は中年男性が開発したからです」

同社は顧客から直接意見を聴くようになり、この事業が長く続いているのはフォーカスグループのお陰だと思っている。

ピーク時には日本中に1997年に50,000台あったプリクラ機が、およそ10,000台になって、最近はこの市場も安定している。

そして、以前と比べて、プリクラブースの設置箇所が近頃減ってきているが、ブース自体は今でも人気だ。フリューのプリ画取得アプリには、3月の時点で1,900万人の登録者がいる。

プリクラ現象について独自の研究をする久保友香氏は、時間と共にこのブースの進化を辿ってきた。

初期のモデルは、写真が実物よりも可愛さで少々上回ることを特長としていて、機能が限定されているが、初めての修整ツールは1998年頃デビューした。

2003年に組み込まれた顔認識技術により、具体的に顔立ちを、とりわけ目を変えられるようになった。

「これはデカ目ファッションの始まりでした」と久保氏は語り、顧客の目がアニメキャラクターの大きな愛らしい目になる人気の機能を挙げた。

「どこが最も大きな目にしてくれるのか、ということをめぐって、少女たちの需要に促され、メーカー間の競争が始まりました」と、久保氏は語った。

近年、修整オプションはさらに高度化し、色合いや影が使えるようになり、完璧な肌の状態にしたり、顔を細くしたりできるようになっている。

そして、スマートフォンとアプリが修正機能を提供しているが、プリクラが生き残る余地はまだある、とひきた氏は語った。

「携帯電話で良い自撮りをするためには、ちょっとした技術が必要です」と、ひきた氏は語った。

プリクラでなら、「写真スタジオのように、プロの設備と照明があり、全てが自動なのです」。

新型コロナウイルスのパンデミックにより、あらゆるブースでの消毒殺菌など、顧客を守る新たな対策を実施することが大切になっているが、このことでファンは離れてはいない。

「お客様は既に戻って来ています。予想よりも速いスピードで」と、ひきた氏は語った。

プリクラ部門が時代を超えて人を惹きつける力を持っていることを示すように、セガは初代モデルを発売して20年以上経った今年の7月、「プリクラ文化を広めること」を目指して、今年後半に新バージョンを売り出すと発表した。

AFP通信

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