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ガザ南部に避難民を収容するテント村が出現 蘇る古いトラウマ

ここ数日のイスラエルによる激しい空爆で家を失ったり避難したりした多数のパレスチナ人を収容するためにハーン・ユーニスのテント村が建設されたことに対し、アラブ世界全体に怒り、不信、悲しみが広がっている。(AP)
ここ数日のイスラエルによる激しい空爆で家を失ったり避難したりした多数のパレスチナ人を収容するためにハーン・ユーニスのテント村が建設されたことに対し、アラブ世界全体に怒り、不信、悲しみが広がっている。(AP)
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22 Oct 2023 05:10:32 GMT9
22 Oct 2023 05:10:32 GMT9
  • ハマスの越境攻撃を受けたイスラエルの空爆により、多数のパレスチナ人が家を失ったり避難したりしている

カイロ:日が昇り、秋の日差しがガザ地区の路上の腐った残骸を焼くように照りつけた時、モハメド・エリアンさんは新しい自宅となったテントのジッパー付き出入り口から姿を現した。

彼は、今回のイスラエルとハマスの間の戦争によって避難を余儀なくされた何百人もの他のパレスチナ人と共に、ガザ地区南部のむさ苦しいテントキャンプに身を寄せた。このキャンプの光景は、彼らの最悪のトラウマの記憶を蘇らせている。

先週、イスラエル軍がエリアンさん一家を含む100万人以上のパレスチナ人に対し北部からの退避を指示した後、ガザ市に住むスマートな身なりの35歳のグラフィックデザイナーだった彼は、ハーン・ユーニスに住むホームレスとなった。持ち物は、薄いマットレス、ソーラー携帯充電器、友人の車にとにかく押し込んだ衣類や鍋など、わずかな生活用品だけだ。

他に行く所がなかったエリアンさんと妻と4人の子供たちは、ガザ地区内の国連の避難所がどこも一杯になったため、今週出現したこの広大なテントキャンプに入った。同地区では既にほとんどの人が、イスラエル建国をめぐる1948年の戦争からの難民である。

エリアンさんは、4~10歳の子供たちのために持ち帰る水を求めて来た近くの病院から、「全てを置いて来ましたが、ここは安全ですらありません」と語った。遠くの空爆の轟音が電話越しに聞こえてきた。

約2週間前のハマス戦闘員らの残忍な越境攻撃を受けたイスラエルの激しい空爆により、多数のパレスチナ人が家を失ったり避難したりしている。

彼らを収容するためにこのハーン・ユーニスのテント村が間に合せで建設されたことに対し、アラブ世界全体に怒り、不信、悲しみが広がっている。

埃っぽい駐車場を行くと、白いテントの列に続く列が現れる。子供たちは日陰に座り、元気なく石で遊んでいる。男性たちは互いの髪を切り合っている。

互いに知り合ったばかりの隣人らが、国連職員から配給の食事(パン2斤と、ツナまたは豆の缶詰)を受け取るのを屋外で待っている。

ヨルダン在住のパレスチナ人ジャーナリストであるダオウド・クタブ氏は、「これらの光景はアラブ世界にとって受け入れられないものだ」と語る。

避難民が国連のテントを急いで設営する光景は、パレスチナ人が「ナクバ(大災厄)」と呼ぶ集団移住の辛い記憶を呼び起こしている。

1948年の戦争前と戦争中の数ヶ月間に、推定70万人のパレスチナ人が現在イスラエルとなっている土地から避難したり追い出されたりした。戦争終結後に帰ることができると多くの人が思っていた。

当時、ヨルダン川西岸地区、ガザ地区、近隣のアラブ諸国に立てられた仮設テントは、75年後の今、恒久的なコンクリートブロックの家に変わっている。

コロンビア大学のラシッド・ハリディ教授(アラブ研究)は、「ガザ地区のパレスチナ人は避難するように言われると、即座に1948年のことを思い浮かべる。これらの(テントの)光景を見ると即座に思い浮かべるのだ」と指摘する。「パレスチナ人著述家らは、それをアラブ人の意識に刻み込んできた」

国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)は、このキャンプは恒久的なものではないとしている。UNRWAは、他の国連施設に入れなかったハーン・ユーニスの避難民数十世帯を「雨から守り、尊厳とプライバシーを提供するために」テントと毛布を配布したという。

ガザ地区には既に恒久的なキャンプが8ヶ所ある。これらは時とともに混み合って荒れ果てた都市近隣地区となっている。

しかし、ハーン・ユーニスのテント村やイスラエルによる退避警告をめぐって地域全体で不安が高まっている。それが、10月7日にハマスがイスラエルを襲撃して1400人を殺害したことをきっかけに始まったガザ地区の戦争をめぐって中東諸国の首都で急増している大規模な怒りのデモに拍車をかけている。

ハマス傘下の保健省によると、同組織による攻撃以降にイスラエルによる報復空爆で死亡したパレスチナ人は4000人以上に上る。犠牲者の多くは女性や子供だ。

クタブ氏はパレスチナ避難民の波について、「ヨルダン政府にとって非常に悩ましいものだ」と言う。「彼らはそれについて考えたくもないだろう」

パレスチナ難民の子孫を大量に抱えているヨルダンでは、何千人もの人々が参加するデモが、長年見られなかったほどの激しさで首都を揺さぶっている。

エリアンさんは、どこで寝るか、どこで食料を得るかといったことで大きなストレスを抱えており、象徴的なことについて思い悩む暇はないと話す。

彼と家族は、混み合った国連の学校の一つに避難しようとしたが、そこの状況は寝るスペースもプライバシーもない「恐ろしい」ものだったという。今のキャンプでは少なくともテントのフラップを閉めることができる。

「その時その時を生きています」と彼は言う。「これからどうなるか、いつどうやって家に帰れるか、そういったことは考えないようにしています」

AP

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