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レバノンへの励ましとなるド・ゴールのメッセージ フランスの元大臣が語る

 エルヴェ・ゲマール シャルル・ド・ゴール財団理事長 (提供写真)
 エルヴェ・ゲマール シャルル・ド・ゴール財団理事長 (提供写真)
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01 Sep 2020 11:09:50 GMT9
01 Sep 2020 11:09:50 GMT9
  • シャルル・ド・ゴール財団のエルヴェ・ゲマール理事長は、フランスはレバノンに深くコミットしていると語る
  • 大レバノン宣言の100周年は、ド・ゴールのレバノンでの時間を振り返る機会でもある、とゲマール氏は言う

ランダ・タキエディン

パリ:9月1日火曜日は大レバノン宣言100周年の節目に当たる。シャルル・ド・ゴール財団理事長、元フランス経済・財務大臣、仏オート=サヴォワ県議会議長等の肩書を持つエルヴェ・ゲマール氏にとって、この記念日は、フランス・レバノンの二国間関係の歴史を振り返るだけでなく、ド・ゴール元フランス大統領がレバノンに居住していた時代を振り返る機会でもある。

「すべてのフランス人と同様、私たち財団もレバノンに非常に愛着を持っています」とゲマール理事長はフランス語版アラブニュースの取材に対して語った。 「フランスはレバノンの歴史に継続して密接なつながりを持ってきました。特に19世紀、1860年の大虐殺とナポレオン3世が深く関与したMoutassarifatの創設以来、そうなっています。私たちド・ゴールの支持者にとって、この期間はもちろん特別な意味を持っています。」

ゲマール氏は次のように続ける。「ドゴール将軍がレバノンに1929年から1931年の間の2年間住んでいたこと、そしてその2年が彼の人生において非常に重要なものだったことは広く知られています。彼はレバノンとシリアを見出しただけでなく、英領パレスチナも訪れました。 当時、彼はすでに心の中でユダヤ人コミュニティとパレスチナ人の間の問題を理解していました。

「またトルコとシリアの間の国境画定の際にド・ゴールはシリアの北東に行ったことも分かっていますので、「ゲジラ」または「上メソポタミア」と呼ばれる地域も訪れていたことになります。イギリス領のメソポタミアは後にイラクになりました。この2年間はドゴールにとって非常に重要だったんですね」

ドゴールのベイルート時代と彼のレバノンとの関わりにおいて、ゲマール氏が特に際立っていると考えている3つの出来事がある。その一つは、セントジョセフ大学でド・ゴールがレバノンの若者に対して行ったスピーチだ。ゲマール氏は「レバノンの若者たちと、この常識にとらわれない会合を持つことは、高位ではない将校(当時ドゴールはほとんど下級士官だった)にとって、決して小さな出来事ではなかったはずです」と指摘する。 「これはド・ゴールにとってレバノン人との最初の触れ合いでもありました。」

ゲマール氏は続けて言う。「第二に、明らかにはるかに悲劇的な出来事は、1941年のビシー軍に対する戦争です。フランス人同士が互いに殺しあう戦争で、支配者層もレバノンの人々も、大きな関心と悲しみを持って注目した事件でした。

「ド・ゴールのレバノンに関する重要な出来事の3番目は、フランスの現職大統領として、またフランス第四共和政の最後の大統領としてのものでした。1958年6月初めにド・ゴールが権力の座に返り咲いた後、同じ年の夏、7月に危機が始まりまったのです。レバノン人の誰もが覚えていることです」

「その後、ド・ゴールは第五共和政の大統領となり、1969年までの在任期間中、中近東、特にレバノンと非常に密接な関係を築いた。私たちド・ゴール支持者にとって、レバノンの重要性の高さは明白です。ですので、シャルル・ド・ゴール財団としても、レバノンのシャルル・ド・ゴール研究所プロジェクトを支援させていただいています」

現在のレバノンに関しては、ゲマ―ル氏は、「批判することはない」「なぜなら、私はこの国とその国民を愛しており、数多くの危機と動乱をくぐり抜けてきたこの偉大な人々の不屈さに、常に畏敬の念を抱いているからです」と語っている。

続いて、ゲマール氏はこう説明した。「ド・ゴール将軍が1890年に生まれ1970年まで生きたのに対し、私たちは今、2020年を生きています。ド・ゴールの生きた世界と今の世界は同じではありませんし、ド・ゴールはもう古い歴史の一部だと思いたくなるかもしれません。しかし、それは間違いです。ド・ゴールのメッセージの一部は、永く受け継がれていくべき教訓となっているからです」

「最初の教訓はフランスと同じようにレバノンにも当てはまります。決して絶望しないこと。あきらめないこと。どんなに辛いものであろうと、世の中で起きる出来事に生き生きと接し、深く心に刻むこと。最後までやり抜くこと。それがド・ゴールの(1940年フランス降伏後の)6月18日の呼びかけの意味であり、1941年12月25日に、ドイツ、日本、イタリアがすべての戦線で勝利したよう見える中で、フランスの子供たちに贈ったクリスマスメッセージの意味なのです。」

ゲマ―ル氏の挙げる2番目の教訓は、自分の強さを信じることだ。「確かに人は一人では取るに足らない存在ですが、自分自身の精神と肉体を信じているときは、とても大きなことを為すこともできるのです」と彼は言う。

「最後に、3番目の教訓は団結です。国とは、ばらばらになれば滅びていくものだからです。シャルル・ド・ゴールは、異論なき支持は彼自身あまり好きではなかったかもしれませんが、団結することを常に愛していました。彼は何度か暗殺未遂に遭い、また最後に行った国民投票では破れてしまい、権力の座を去ることになりもしました」

「それでも、ド・ゴールは団結の大切さを信じることをやめませんでした。彼が残したこれらの教訓は、レバノンとフランス両国にとって永遠のものであると私は思います。」

 

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