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ガーセム・ソレイマーニー氏がどのように中東の安定を損なったか

バグダッドの国際空港付近で金曜早朝、米国の空爆がソレイマーニー氏を殺害した。(AFP)
バグダッドの国際空港付近で金曜早朝、米国の空爆がソレイマーニー氏を殺害した。(AFP)
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04 Jan 2020 03:01:20 GMT9
04 Jan 2020 03:01:20 GMT9

アラブニュース

ドバイ:金曜早朝にバグダッドの国際空港から移動していたイランのガーセム・ソレイマーニー司令官(62)と他6人を殺害した米国の空爆は、中東で最も危険な男の20年におよぶキャリアに終止符を打った。
米国、アラブ諸国とイスラエルにとっては、ソレイマーニー氏はイラン代理軍を指揮する影の多い人物だった。彼はバッシャール・アサド大統領を支援するシリア国内の兵士たちと、イラクにおける米軍部隊の死の原因となった。

権力面では、彼はアリー・ハーメネイー最高指導者に次いでイランで2位の地位にあった。ハーメネイー氏の断固として忠実な友として、ソレイマーニー氏は外交政策に多大な影響を及ぼすようになっていた。

イスラム革命防衛隊(IRGC)の他多数の仲間は不均等な代理攻撃の遂行経験を持ち、イランはその種の攻撃で有名だ。しかしソレイマーニー氏は、群を抜いて優れた将軍だった。

国外におけるイランの並外れた軍事影響力の立役者として、彼は防衛よりも攻撃的な戦術や軍事行動を優先させた。そしてイラク、シリア、イエメン、レバノンの戦場で、自軍や代理軍隊らと自信過剰な自撮りを楽しんだ。

JCPOAとしても知られる2015年のイラン核取引は、ソレイマーニー氏に経済的、戦略的、そして地政学的機会を与えた。彼の悪評を最も高めたのは、シリア内戦と中東におけるダーシュ(テロ組織「ISIS」の別名)の急速な拡大だろう。アサド政権の主な支援者であるイランは、ソレイマーニー氏を数回に渡りシリアへ送った。それは、アサド政権およびダーシュに対抗する兵士を攻撃するためだった。

2011年以降、ソレイマーニー氏は中東および北アフリカでの混乱と暴動について宣言した。「我々の(イランの)革命に最高の機会を提供するものです…我々の国境は拡大しました。エジプト、イラク、レバノン、シリアでも勝利を目撃するでしょう。これは、イスラム革命の成果なのです。」

地域の混乱や不安定に乗じたソレイマーニー氏とIRGCエリートのゴドス軍は、数ヶ国の最高機密、政治情報、軍事インフラに潜入した。そしてどの指導者、どの政治家が権力を手にするのかに支配力を行使した。

ゴドス軍もまた、アサイブ・アル=ハクやカタイブ・アル=イマーム・アリ(KIA)を含む多くの指定テロリストグループを生み出した。彼らはダーシュと同様に、恐ろしい戦術を用いる。KIAは、断首や燃えている人体の動画を見せることで有名だ。アサイブ・アル=ハクは、毎月200万米ドルをイランから受け取っていると報じられている。

シリア、イエメン、レバノン、バーレーン、そしてイラクで、無害な子供や女性がソレイマーニー氏の手で血を流したのは、不思議ではないだろう。

1957年3月11日生まれのソレイマーニー氏は、国内では山地の町ラボール付近で育ったと言われている。米国務省によると、同氏の生まれはイランの宗教首都であるコムだ。

彼の子供時代について多くは知られていない。だがイランの情報では、ソレイマーニー氏の父はモハンマド・レザー・パフラヴィー皇帝から土地を借り受けていた小作人だったが後に負債で苦しんだ、とされている。

13歳になる頃にはソレイマーニー氏は建設現場で働き始め、その後カルマン・ウォーター・オーガニゼーションの従業員になった。1979年のイラン革命が皇帝を権力の座から一掃し、その余波の中でソレイマーニー氏はIRGCに入隊した。

彼はイランの北西へと布陣を展開し、それが革命に続いて起こったクルドの混乱を鎮圧した。その後間も無くイラクはイランへ侵攻し、二国間の長く血生臭い8年戦争が始まった。

この戦いは100万人以上を犠牲にした。イランは10代の兵士を含む軽武装の軍隊を、地雷原とイラク軍の砲火の中へ大量に送り込んだ。ソレイマーニー氏の隊およびその他は、イラク軍による化学兵器攻撃に曝された。

イラン・イラク戦争の後、ソレイマーニー氏は数年間ほとんど、公の場から姿を消した。アナリストはこれを、1989年から1997年にイラン大統領を務めたハーシェミー・ラフサンジャーニー氏との戦時中の意見の対立のせいであるとしている。

だがラフサンジャーニー氏の後、ソレイマーニー氏はゴドス軍指揮官となった。また、ハメーネイー最高指揮官が彼の娘の結婚式を司宰するほど、ソレイマーニー氏は最高指揮官と極めて親密になっていた。

IRGCの海外作戦を監督したソレイマーニー氏は、2003年のイラク侵攻とサッダーム・フセイン氏の転覆の後、アメリカの目に留まるようになった。

ウィキリークスの流した極秘の米国外交公電内で米当局者は、2009年のバグダッドでグリーンゾーンと呼ばれた区域へのロケット攻撃を阻止すべく、ソレイマーニー氏に接触しようとするイラクの試みを公然と議論した。

その権力のピークで、ソレイマーニー氏はおよそ2万人のゴドス軍兵士を指揮していた。だが非常事態では、彼はさらにIRGCやバスィージの軍事力も利用することができた。

加えて厳密に言えば、ソレイマーニー氏はイランが支援し、創設を手助けした民兵組織の兵士たちも指揮していた。また、彼は代理として戦うためにアフガニスタンを含む数多くの国々から兵士を雇用していた。

ゴドス軍は即席の爆発装置(IED)など、死に至る洗練された爆弾を提供した。それらはイラク人とアメリカ人を含む、多くの民間人と軍人を殺害した。デヴィッド・ペトレイアス陸軍大将は2010年のスピーチで、イランの軍事力を物語るとしてソレイマーニー氏からのメッセージについて語った。

「彼は言いました。『ペトレイアス将軍、貴方は私、ガーセム・ソレイマーニーが、イラク、レバノン、ガザ、アフガニスタンに関するイランの政策を統制しているということを知っておくべきでしょう』と。」ペトレイアス氏は述べた。

米国と国連は2017年にソレイマーニー氏を制裁リストに加えたが、彼の渡航は続いた。

2011年には米当局も、ゴドス軍による計画の被告人として、彼の名を挙げた。当時の米国駐在サウジ大使、アーディル・アル=ジュベイル氏を、メキシコの麻薬カルテル暗殺者を雇って殺そうとしていたというものだ。

金曜にソレイマーニー氏の運が尽きる以前、彼の死亡は何度か噂されていた。それには、イラン北西部で他の軍将校が亡くなった2006年の飛行機事故や、アサド政権の上層部側近を殺害した2012年のダマスカス爆撃が含まれる。

より最近では、シリアのアレッポ周辺で戦うアサド派の軍を指揮中にソレイマーニー氏が殺害された、または重傷を負った、という噂が2015年11月に広まった。

ソレイマーニー氏の実際の殺害は、イランの支援を受けた民兵による、大晦日のバグダッドでの米国大使館襲撃に続いた。2日間の襲撃は、約750人の米国兵士を中東へ派遣するべくトランプ氏を刺激した。

大使館への侵入は、イランの支援を受けたイラクの民兵隊、カタイブ・ヒズボラの25名を殺害した米国の空爆に続いて起こった。

イランは、ソレイマーニー氏殺害の報復を明言している。ハサン・ロウハーニー大統領は、これによりイランは、より断固として米国に反撃するだろうと述べた。IRGCは、反米軍組織がイスラム圏全体で報復を要求するだろう、と主張している。

だがジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院非レジデントフェローのランダ・スリム氏は、現時点での報復は口で言うほどやさしくはない、と見る。

ツイッターで彼女は「イランは、ソレイマーニー氏を殺害した米国の攻撃に反応するでしょう。気になるのは、どれくらい早く、どこで、そしてどのように?」と述べ、こう付け加えた。「ソレイマーニー氏は、テヘラン地域の代理空間における主な要でした。彼がいなくなったことで、反撃の組織も実現も、時間を要することになるでしょう。」

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