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ジャマールの正義

ジャマール・カショギ氏は2018年10月にイスタンブールのサウジアラビア領事館で殺害されたが、遺体は見つかっていない。月曜日にカショギ氏殺害の罪で8人が有罪判決を受け、そのうち5人が死刑判決を受けた。
ジャマール・カショギ氏は2018年10月にイスタンブールのサウジアラビア領事館で殺害されたが、遺体は見つかっていない。月曜日にカショギ氏殺害の罪で8人が有罪判決を受け、そのうち5人が死刑判決を受けた。
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24 Dec 2019 10:12:42 GMT9
24 Dec 2019 10:12:42 GMT9

本日のこのページの見出しにある8文字は、多くの人にとって聞きなじみのある言葉になるだろう。それというのもこの14ヵ月間、言論の自由を守るという価値ある目的のためのスローガンだけでなく、実際のところ正義へのかかわりという点では少なからず怪しい一面がある、お題目ばかりを先行させている個人や国によって、ハッシュタグで濫用されている。

しかし、2018年10月のイスタンブールのサウジアラビア領事館で起きたジャマール・カショギ氏殺害について8人に下された月曜日の有罪判決と量刑の決定により、「ジャマールの正義」という言葉は、本来その意味を持つ唯一の場所であるサウジアラビアの法廷に戻ることとなった。判決後にジャマール氏の息子でサラが語ったように、裁判所は「ジャマール・カショギの子たち、すなわち私たちに公正な裁きを下しました。私たちはサウジの司法制度に信頼を寄せています」

さらに、これは手っ取り早く正義を手にしようと慌てた結果でもなく、この犯罪をさっさと葬り去ってけりをつけてしまおうとしたわけでもない。そうではなく、9回以上にわたって行われた聴聞会には国際社会の代表者のみならず被害者の家族のメンバーも同席し、裁判所は証言を聞き、証拠を検討したうえで、その判決に達したのだ。

もちろん、どんな判決が下されようとも決して喜ぶことができない人たちもいる。カタールやイランなどの愉快に思わぬ国々は悪意を持っており、サウジアラビアを打ち負かすためなら、どんなに貧弱であろうとも、その手に棒を持とうとするだろう。

トルコの振る舞いは特に非難の的になってきた。その日の領事館での出来事に関して、意図的に情報をかいつまんだ身の毛もよだつような解説が、国の言いなりになっているメディアにあふれていたことに喜びを隠そうとしなかったのだ。その後、トルコ当局はサウジアラビアから幾度となく要求されていたのにもかかわらず、サウジアラビアに協力し、審問のためにあの「証拠」をサウジアラビア裁判所に提出することを拒んだ。トルコの動機が、正義を求めてのことだったのか、それともサウジアラビアに恥をかかせることにあったのかが気になるのは至極当然のことだろう。

特に、サウジアラビアには大きな衝撃だった。私たちの文化にとってあまりにもありえない出来事だからだ。先に述べたように、私にもショックだった。

ファイサル・J・アッバース

とはいえ、「ジャマールの正義」を求めた人たちがみな、悪意を持ってそのような行為をしたのだと言うのは誤りだろう。それに、私たちは返す刀であらゆる批評家に汚名を着せるつもりもない。結局、そうした批評家たちの中に私たちも含まれるのだから。この恐るべき犯罪に、世界が衝撃を覚えた。特に、サウジアラビアには大きな衝撃だった。

私たちの文化にとってあまりにもありえない出来事だからだ。先に述べたように、私にもショックだった。ジャマール・カショギ氏は、本紙の元副編集長であり、元同僚であり、個人的な友人だった。そんな彼が身の安全を感じる権利を持つ場所で、言葉できないほどの試練を受けた。サウジアラビア人も、「ジャマールの正義」を望んでいる。

ある地区では、2人の高官が殺人の罪から逃れてしまうかもしれない懸念がある。1人は法廷で無罪とされ、もう1人は捜査が行われたが起訴されなかった。こうした懸念は、純粋なもので善意による場合がほとんどだが、2つの理由から見当違いであると言える。

まず、ジャマール・カショギ氏の殺害がサウジアラビアに計り知れない損害をもたらしたことを忘れてはならない。サウジアラビアの評判、経済、海外投資を誘致する試み、そして社会的にも経済的にも改革をもたらす野心的な「ビジョン2030」プログラムに対する支援への損害だ。ムハンマド・ビン・サルマン皇太子が指摘したように、「サウジアラビアに対する脅威とは、サウジのジャーナリストに対するそうした行動によるものだ」

王国の利益に心から関心を持っている人なら、そうした恐ろしい行為を命令し実行することなどまずないだろうと考えるのは、論理と常識にそぐわない。

次に、被告人の責任という刑事上の有罪判決を下すにあたっての最重要条件は、合理的な疑いの余地を残さず証明されなければならない。「彼らは知っていたに違いない」はいかにも軽薄な告発だが、証拠にはならない。証拠に基づいた告発ではあるが。そしてジャマール・カショギ氏を殺害した人たちが有罪判決を受けたという証拠でしかない。

それだけのことだ。有罪判決を受けた側と検察官の双方から告訴の申し立てがあるだろう。それでも月曜日の判決は、どうしても通らなければならない複雑な手続きにおいて、大きな一歩だった。それに最後の最後には、本当に追及する人に、きっと「ジャマールの正義」がもたらされるはずである。

ファイサル・J・アッバース、アラブ・ニュース編集長

Twitter: @FaisalJAbbas

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