Since 1975
日本語で読むアラビアのニュース
  • facebook
  • twitter

レバノンの単純なスローガンが複雑な物語をさらに複雑に

ジャル・エル・ディブでレバノンの抗議活動参加者が反政府スローガンを連呼している。(AFP通信)
ジャル・エル・ディブでレバノンの抗議活動参加者が反政府スローガンを連呼している。(AFP通信)
14 Nov 2019 02:11:19 GMT9

三週間が過ぎたが、レバノンの抗議活動は勢いを弱める気配がない。サアド・ハリーリー首相が辞任を申し出て、改革法案が提出されたが、さらに多くのレバノン人が引き続き抗議活動に繰り出している。

今週に入り、学生は学校や大学を休んで抗議活動に参加している。そして、女性は注目すべき存在だ。形態は変化し、歌声は行ったり来たりしているが、しっかりと変わらないくだりが一つある。切れの悪いスローガン、「彼ら全員とは彼ら全員を指すのだ」(ケルン・ヤアニ・ケルン)は、極めてあてにならない危険な政治的推測が数ヶ月前に想定したものよりも、宗教国家の体制にとって、はるかに深刻な要求だということがわかった。

レバノンの戦後の複数の政治同盟は、彼らが行動の拠り所としたその名とともに、常に慣例的な信仰およびイデオロギーの境界線を越えてきた。従来の政治的分類に従う場合にはグループ分けは機能したが、その他の場合では、彼らは告白の範疇に従った。

しかし、政党や同盟は数字でも分類されてきた。その数字とは、特に対立のあった出来事の日付を表す。例えば、元首相のラフィーク・ハリーリーの暗殺やその後に火がついた集団抗議活動だ。地方の分類が変化した一方、歌はそれ自身の政治的な領域を築き上げたように見える。戦略の潜在的な問題にほとんど左右されることのない領域だ。

家族の起源が南レバノンにあるキリスト教徒の歌手、ジュリア・ブトロスの政治的な歌はわかりやすい例だ。レバノンの愛国歌が生み出したのはブトロスの訴えだけではないが、彼女の存在は国民感情を形成するにあたって常に重要なものだった。その国民感情の土台となっているのは、領土の統合、個人および集団の威厳や力、抵抗という共通の価値観である。

彼女の訴えは、1970年代と1980年代に才能のある子供として登場した時に生まれ、レバノン内戦の対立時代における特有の共通の目標と同時期に存在した。南レバノンのイスラエル軍の駐留と侵略に抵抗していたのだ。

しかし、見た目には一つになった政治目的に一貫性がなかったとしても、それは完全なものでもない。イスラエル軍がベイルートに到着した1982年の侵略の直後から、それに続いて警戒区域を設定し、イスラエル軍とレバノン同盟軍(南レバノン軍)が共同で軍事管理を行うことになった時点まで、レバノン領土全域の支配権を取り戻そうとする願望は地域にまつわるものとは言えなかった。

2000年5月にイスラエル軍が突然引き上げるまで、南レバノンはずっと国体の圧痛点だった。何十年にもわたってその問題に焦点を当て続けて発信していた一人の歌手、それはブトロスである。一つの派閥の侵略者が別の派閥の協力者であったとしても、彼女の歌はすべての形の脅迫に対する抵抗であるだけでなく、外国軍の駐留に対する抵抗の象徴となった。

1985年のブトロスの歌「Ghabet Shams El Haq」は「真実の太陽は陰りを見せた—— 夜明けは日没になった」で始まる。「私たちは死ぬことを拒絶する。私たちはこの世にとどまると彼らに伝えよう。自分の国、自分の家。勤勉な人々。聞いて。あぁ、南部。愛する私の南部。」とリフレインが続く。この歌は、イスラエルの侵略に続いて、血なまぐさい戦争のさ中に書かれ、何十年も確実に大衆を覚醒させた。

何千人もの大衆がこの曲の出だしの部分で2秒以内に歓声をあげ、曲に合わせて正確に歌うようになったのは、2010年代になってからようやくのことである。イスラエル軍の南レバノン駐留は最終的に2000年に終了したが(全体的には終了したが、わずかな国土が様々な方角からずっと奪い合いの対象になっている)、ブトロスの歌の力は衰えることがなかった。

ほぼすべての地方の政治的忠誠心と同様に、ブトロスの神権政治的イデオロギーと社会主義的イデオロギーの連携に対する忠誠心は複雑なものだった。彼女のファン層はヒズボラとその左翼支援者に政治的に関与しており、また、その幾重ものファン層を構成していたのは、ミシェル・アウンがその後築き上げた国民同盟ヒズボラだけだった—— キリスト教徒の元陸軍大将を支援する超国家主義者で、政治的方向性の極右にいる人々にとってはがっかりする事実だった。それでもブトロスの歌は、少なくとも1、2年前までは、引き続き多くの大衆を奮起させていた。

しかし、ここ三週間は、政治屋の告白内容の細かな推移とこれまでの40年間の変化だけでなく、一つになった人々がその境界線を横断させた大きな筆運びもうまく曖昧にしてきた。それらの筆運びはこれまでほとんどなかったものだ。

現在、力の連携の目に見えない新たな問題がレバノンの集会の場で明らかになり始めた。2分割は、体制とそれを維持する人々に同じように衝撃を与え、不動に見える障害物を横断している。前代未聞の現象として、新たな「我々」と「彼ら」の位置付けは明快な分だけ、単純である。単純さも明快さもありそうもない政治的環境にあって、レバノンの人々は決心したのだ—— 政治家である「彼ら」と対立しているのは国民である「我々」である。新たな官僚と政界の黒幕の古参。「全員は全員を指す」という主張は、依然として、政治エリートの離職を断固として要求する町の声である。

3つの単語のそれぞれが1拍で叫ばれ、4拍目で沈黙するという、リズミカルなアラビア語のスローガンは、一つの声となっている。誰もが不可能だと思っていたことだ。それでも、規範に挑む多くの考えと同様に、この不屈の要求は、その単純さで非常な困難を覆い隠している。

タラ・ジャルジュルは「感覚と悲しみ—— アレッポにおけるシリアのスローガン」(オックスフォード大学出版局、2018年)を執筆し、現在は、ロンドンのキングス・カレッジの客員研究員およびイェール大学ピアソン校のアソシエイト・フェローである。

特に人気
オススメ

return to top