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ダマスカスの死の広場を照らすツリー

サンタクロースに扮したシリア人男性が、ダマスカス近隣アル・カッサの訪問者を待っている。(AFP)
サンタクロースに扮したシリア人男性が、ダマスカス近隣アル・カッサの訪問者を待っている。(AFP)
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25 Dec 2019 11:12:41 GMT9
25 Dec 2019 11:12:41 GMT9

かつて友人が言ったように、一年のこの時期は人々が「ぼんやりしているとされる」時期です。西洋で、またいよいよ世界中で12月最終週に向けての祝祭のしるしが本格的になっていきます。音楽はどこにでもあり、キャロルや賛美歌、そして歌にアレンジが重ねられます。古い歌も新しい歌も、親しみ深い曲がよい意味で感傷的な気持ちを喚起してくれます。

お店やそこに並ぶ魅力的な季節限定の商品は、必要を満たすためのものというよりも、それが必要でいますぐ買う必要があるという気持ちにさせるものです。街の通りや広場、木々、公園、建物、家々、そして街灯すらもが突然色とりどりに飾り付けられます。そして光が、多くの光が考えうる限りの変化を持って点滅し、きらめきます。特別な時間はもう目の前だと気付かずにいるのは難しいでしょう。

まぶしい彩りは明るい空気を反映あるいは喚起しようとしたものであるのにもかかわらず、祝祭の刺激の感覚的な猛攻撃は多くの人々に悲しみと怨みの感情を抱かせます。光の装飾は特に苦情を受けるのです。おそらくこれは、主にはシリアなどの紛争地帯といった、喪失を目撃した場所で顕著です。

私たちは惨事に見舞われた国の苦しみが去ったと聞くことを望んでいますが、戦闘が活発な地域は限られているとはいえ、喪失と恐怖の感覚は、こうした光が輝く通りも含めた国のあらゆる通りで続きます。

2年連続で、シリアの都市の主要な広場で巨大なクリスマスツリーのライトアップが行われています。ダマスカスではアッバース朝の広場であるサハト・アル・アッバシインが選ばれました。その名前の歴史的な重要性にも関わらず、この広場はつい最近まで首都でもっともおもしろくない場所のひとつでした。この広場はもともと大きな環状交差路で、高速道路で繋がった都市空間と今はその近隣の延長にある旧村をつなぐ複数の大きな通りが合わさっています。

過去数十年に渡り、トラック、バス、車が出口を争う巨大な車線の渦巻きを美化する試みが行われており、周辺の農村地域からの街の入り口と毎日そこに群がる人々や品物が記録されています。渋滞を緩和するために、噴水を中央に据えた80年代後半様式の円形庭園が交差する通りとトンネルの合流地点に置き換えられました。

2018年のライトアップされたクリスマスツリーは、今の季節の高さ20メートルの美しく飾られた構造というよりは急速にまとめあげられた一連の光のように見え、多くのシリア人がその政治的意義を痛感しました。

タラ・ジャージュール

週末、アッバシイン広場に設置された14層構造の照明のスイッチが入れられました。頂点にさまざまな方向に明るく光る星が飾られた今年のクリスマスツリーは祝祭にて明かりが点けられ、そこには数百人が出席したとされています。これは昨年「シリアでもっとも高い木」がコンセントに繋がれたときのことを思い出させる機会になり、首都での戦いの終わりと祝祭の始まりを告げているのです。

戦争以前にも市の後援でツリーのライトアップは時折行われていましたが、アッバシイン広場という選択はダマスカスでの戦いの終わりを表す象徴的なものでした。シリアの長きに渡る物語の初期に対立する武装勢力に奪われた地域に近接しているため、この地域は激しく争われ、この広場とその周辺は死の場所として知られるようになりました。

2018年のライトアップされたクリスマスツリーは、今の季節の高さ20メートルの美しく飾られた構造というよりは急速にまとめあげられた一連の光のように見え、多くのシリア人がその政治的意義を痛感しました。人々は祝祭の行為は仲間の市民や戦争の多くの犠牲者に対して無礼なものだと考えていました。意見の相違には明らかに宗教的な境界がありましたが、特にその前月にダマスカスの外で沸き起こった大規模な争いにおける勝者と敗者の認識があったため、それは決してはっきりとはしませんでした。重圧の下にある人々に喜びを感じる権利があるのは確かですが、争いの相手に同胞が含まれる場合は、誰もが喪失を味わうのだと覚えておくことが重要です。

今年は、ダマスカスとアレッポで行われる光の祝祭と国の他の地域での激しい砲撃が同時期に行われているという事実にほぼ変わりはありませんが、出席した人のなかには表情に希望が表れた人もいました。

今年は若いボランティアのチームが運営を支援しました。チームの名前はサブロといい、本来は希望を意味します。彼らのユニフォームであるベストには、シリア語の単語とともにアラビア語とラテン語の音訳が書かれていました。それはいくぶん曖昧ですが、シリア教会で毎週行われる礼拝式で何度も使われる言葉です。この機会に言及するのにもっとも適した言葉は、ある夜、ベツレヘムの外で天の聖歌隊が羊飼いに唱えたフレーズに由来するものです。聖書の物語によれば、羊飼いが夜に群れを守っていると、天使とその友人が多数現れ、特別な子供が生まれたことを告げたというのです。

「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように」、これはキリスト教のもっとも広く知られた一節になりました。「グロリア・イン・エクチェルシス・デオ」という成句は数え切れないほどの種類の音楽や歌に使われ、何千世代もの合唱団によって古くから歌われてきました。シリア正教会の総主教が出席者に語ったように、今日のダマスカスでそれを思い起こすことには、人々の生活の中の苦しみではなく、希望を奨励するという意味があります。

シリアをほぼ10年に渡って踏みにじったのは宗教に基づく戦争の簡略化ではないというのは確かなことです。社会的な繋がりや文化的な習慣についていえば、告白の行列には別種の価値があり、必ずしも否定的なものであるというわけではないのです。

いまだ深い傷に接し友愛の連帯の真言を繰り返す国家にとって、祝祭の衣装のきらめく光はまさに彼らが隠したい分断を明らかにするものです。しかし、宗教の違いという境界が地表よりずっと下にあるということがないように、クリスマスの真の光は、そのよい便りがもたらす慰めより輝きます。天におわします神が讃えられるかぎり、希望と善が人々に与えられるのです。

これは、少なくとも、シリアの宗教がこの週への異議を唱えることはなさそうだということでしょう。

タラ・ジャジュールは「Sense and Sadness: Syriac Chant in Aleppo(原題)」の著者。ロンドン大学キングスカレッジ客員研究員、またエール大学準研究員。

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