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サルワ宮殿でサウジアラビアの建国の父たちの足跡を辿る

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22 Sep 2021 10:09:59 GMT9
22 Sep 2021 10:09:59 GMT9
  • この歴史の宝庫は、何世紀も前の指導者たちの日常生活や、現代のサウジ国家への布石となった様々な決断や功績を垣間見せてくれる。
  • 第一次サウード王国を建設したムハンマド・ビン・サウード国王の自宅であったこの宮殿は、国の指導者たちがここに集まって事業、政治、社会の出来事を議論したことから、「統治宮殿」として知られていた。

 ラマ・アルハマウィ

リヤド:もしもサルワ宮殿の壁が話せるとしたら、機密、高潔、武勇などに関する様々な刺激的な話を語ってくれることだろう。

現代のサウジアラビアへの布石となった第一次サウード王国のリーダーたちが住んでいた宮殿の、狭い廊下を探検すると、歴史的な驚異の迷路を辿っている気分になる。

宮殿は、ディルイーヤにある歴史的なユネスコ世界遺産アル・トライフの一部であるだけでなく、サウジアラビアの人々が受け継いできた精神や文化の象徴でもある。

1818年にオスマン帝国軍の193日に及ぶ攻撃から第一次サウード王国を守る防御の一旦を担ったこの宮殿は、今でも堂々とそこに立っている。壁は攻撃により所々が壊されたが、多くの箇所はそのままの姿で残っており、サウジ国民の不屈の精神の反映であるとされるようになった。

アラビア語の「サルワ」は、「喜びと癒し」という意味をもつ。ここを訪れた人々は、さまざまな区画へ移動するに連れて平和と静寂に包まれるこの宮殿に、その名がいかにふさわしいかを感じとることができる。

サルワは、第一次サウード王国の建国者とされるムハンマド・ビン・サウード国王の自宅であった。ここは、国の指導者たちが集まって事業、政治、社会の出来事を議論していたために統治宮殿と言われ、基本的に当時の行政の中心地であった。

1766年にイマーム・アブドル・アジーズ・ビン・ムハンマド・ビン・サウードが建立したこの宮殿は、ディルイーヤに今でも残る最大規模の建築物だ。1万平方メートルの面積を有し、接待エリア、マジリス、行政部署、学校、モスク、公共会議所など、7つのセクションがある。

宮殿の全盛期にはゲストたちは、接待エリアで迎えられた後、会合の性質に応じてマジリスかムハタサールへと通された。宮殿の非常に特別な一角であるムハタサールは、国家指導者たちがプライベートな問題に対処する場所であった。イマーム(指導者)とその顧問官たちのみが、重大問題が発生した際にそれを議論して解決するために入室が許された。

宮殿内の私設学校は、王室のメンバーたちがイスラム教科目、数学、コーランなどの個人教授を受ける場所であった。来場者は当時の柱の残骸を見ることができるが、学校であった建物に今でも残るのはそれらの柱だけだ。

しかし、何百年も前のサウジアラビア人たちの日常を窺い知ることのできる数多くの歴史的な貴重物や遺物が残っている。例えば、人々が水を飲んだり祈りの前の清めを行ったりした井戸は、ほぼ手つかずの状態で遺されている。

宮殿は、石、泥レンガ、藁などで作られている。扉や壁を支える基礎には、タマリスクの木から切り出した木材が使われた。泥レンガは、20cm×40㎝の木製の枠に泥と沈泥を混ぜたものを流し込んで圧縮し、それを日干しにして作った。宮殿の壁はそうしたレンガを一つずつ積み重ねて作られている。

建築物のあらゆる細部に歴史が刻まれている。泥レンガの並べ方にも独特の違いがあるなど、この建築物を建てた作業員たちの個人的な手法が、来場者を現代のサウジアラビア人の祖先たちが生きた時代へと連れて行ってくれる。そうしたことからも、これはサウジアラビア王国の心と魂が時代を通して受け継がれていることを示すものだと言える。

サルワ宮殿は、国家の歴史、遺産、文化の重要なシンボルだ。何世紀も前の指導者たちの足跡を辿る狭い通路を歩いて行くと、この場所で、今日の世界が知る現代国家の布石となるべく運命が調整され、決断が下され、功績が遂げられたのだと知り、来場者は自信と誇りと名誉の感覚を抱かずにはいられなくなる。

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