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「我々は助け合うべき」 トルコ地震被災者が希望のメッセージ

メルト・サヒンさん(左、地震の前)は建物の倒壊により負傷し、ハタイのムスタファ・ケマル研究病院の集中治療室で治療を受けなければならなくなった。(提供写真)
メルト・サヒンさん(左、地震の前)は建物の倒壊により負傷し、ハタイのムスタファ・ケマル研究病院の集中治療室で治療を受けなければならなくなった。(提供写真)
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11 Feb 2023 08:02:13 GMT9
11 Feb 2023 08:02:13 GMT9
  • サヒンさんは震災で祖父母を亡くした
  • サヒンさんはハタイのムスタファ・ケマル研究病院の集中治療室で治療を受けなければならなくなった

メネクセ・トキャイ

アンカラ:6日にトルコで発生したマグニチュード7.8の地震で被災した19歳の大学生がアラブニュースに対し、この震災は人生の全ての瞬間を楽しむことの大切さを思い出させてくれたと語った。

メルト・サヒンさんは、倒壊した建物の瓦礫の中から地震発生の35時間後に専門家チームによって救出された。おじの声が聞こえたため携帯電話を使って自分の居場所を知らせたことが救出につながった。

このチームは、地元の商店から発電機、掘削機、コンクリートブレーカーなどの必要な機材を提供された。

サヒンさんはこの震災で祖父母を亡くした。地震発生時、彼はアンタキヤにある祖父母の家に滞在していた。古い5階建ての建物の2階だった。

地震がこの地域を襲った時、彼は携帯でアマゾンプライムシリーズを見ながら起きていた。彼は警戒を保ちながら家の中にいた他の人たちを起こそうとした。

ベッドの上に横になって地震が終わるのを待った。

彼は語る。「この地震は、人を助けること、人生の全ての瞬間を楽しむこと、人を尊重することが世界で最も大切な美徳であることを改めて思い出させてくれました」

サヒンさんはハタイのムスタファ・ケマル研究病院の集中治療室で治療を受けなければならなくなった。

「救急車が来るまで長い時間待たなければなりませんでした。道路が損壊したり建物が倒壊して道を塞いだりしていたため、車が市内に入れなかったのです」

イリディズ工科大学で機械工学を学ぶ学生であるサヒンさんは、親戚の葬儀に参列するためにアンタキヤまで来ていたのだ。14日にイズミルに帰る予定だった。

建物が倒壊した際、石の柱に押しつぶされ腰を骨折し、脊椎も損傷した。

「昨日から右足が動かせるようになりました。次は左足の番です」

「健康と命を大切にしなければならないと実感しています。私たちは互いに助け合うべきです。人生は短いし、何が起こるか分からないのですから」

「私の容態を気遣ってくれた全ての人に感謝しています。ソーシャルメディアからのメッセージにも。私のことを全く知らないのに励ましてくれました。とてもありがたいです」

サヒンさんは、地震で亡くなった大切な人たちの思い出を忘れないと心に誓っている。

また、彼は当局に対し、訓練を受けた全国の技術者に震災後の地域再建に貢献する機会を提供するよう求めた。

アラブニュースに対し、6日に建物が崩壊して、またトルコとシリアで2万2000人以上の死者を出した地震の中で、アンタキヤとハタイは「終わった」と口にした地元住民も何人かいた。

トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領はこの地震を「世紀の災害」と呼び、当局の対応は政府が期待したほどには迅速ではなかったと述べた。

これまでに世界の約80ヶ国がトルコに人道援助や経済支援を送っている。

米国は、トルコとシリアへの緊急人道支援として8500万ドルを提供すると発表した。

米欧州軍も、トルコの救助活動を支援するためにインジルリク空軍基地からの救援物資、医療用品、水などの調整を開始した。また、必要時に備えて米軍空母1隻がトルコの近くに配備された。

国内外のチームによる英雄的な努力は不安の中にいる国民に希望を与えているが、低体温症や寒さが依然として大きな懸念材料となっている。

救助活動従事者は現在、何か音がしないかと瓦礫に神経を集中させている。10日には、瓦礫の中に4日間閉じ込められていた母親と生後10日の赤ちゃんが救出された。

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