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トルコ・シリア地震の死亡者数28,000人超え、次々と続く劇的な救出劇

トルコ・シリア地震の6日後、11歳の生存者モハマド・アルカナス君に付添う救急隊員たち。トルコ、ハタイ。(ロイター通信)
トルコ・シリア地震の6日後、11歳の生存者モハマド・アルカナス君に付添う救急隊員たち。トルコ、ハタイ。(ロイター通信)
大地震による被害の状況。トルコ、カフラマンマラシュ。(資料写真 / ロイター通信)
大地震による被害の状況。トルコ、カフラマンマラシュ。(資料写真 / ロイター通信)
月曜日の地震から数日経過した後に救出されたセナ・ナノ氏(67歳)を救急車に運ぶ救助隊員たち。トルコ南部カフラマンマラシュ、2023年2月11日。(イスマイル・コスクン / IHA、AP通信経由)  
月曜日の地震から数日経過した後に救出されたセナ・ナノ氏(67歳)を救急車に運ぶ救助隊員たち。トルコ南部カフラマンマラシュ、2023年2月11日。(イスマイル・コスクン / IHA、AP通信経由)  
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13 Feb 2023 03:02:52 GMT9
13 Feb 2023 03:02:52 GMT9
  • 国内外の救助隊員数千人が建物が倒壊した地域の捜索を現在も続けている
  • 5日間にわたる 悲しみと苦悶の蓄積が、トルコ国内では、徐々に憤激へと変質しつつある

トルコ、カフラマンマラシュ:地震がトルコとシリアの一部を破壊してから5日後、死亡者数は合計28,000人以上に達し、救助隊員たちが子供や高齢者を瓦礫から救い出す奇跡的な救出劇が繰り広げられる一方で、集団埋葬があわただしく行われた。

国内外の救助隊員数万人が、凍てつくような天候にも関わらず、建物が倒壊した地域の捜索を現在も続けている。今まさに支援を切実に必要としている数百万人の苦境は、厳しい寒さにより深刻さを増している。

しかし、破壊と死の渦中から生存者は現れ続けている。

「出られるのですね?」と、70歳の女性メネクセ・タバク氏は、トルコ南部の都市カフラマンマラシュで瓦礫の下から救出される際に尋ねた。カフラマンマラシュ市は、月曜日のマグニチュード7.8の地震の震源地だった。救出されたタバク氏が拍手で迎えられ、神を称える叫び声が上がる様子を、国営放送TRTニュースが公開した動画が伝えている。

トルコ南部のハタイ県では、地震発生から123時間経過後に生存している2歳の女児が発見されたと、日刊紙ヒュッリイェトの オンライン版が報じた。

同紙は他にも、震災後長時間が経過してから救出された数多くの子供たちや金曜日に発見された妊娠中の女性についても報じている。

イブラヒム・ザカリア氏は、自宅の瓦礫の中に5日間閉じ込められて失神と覚醒を繰り返す内に時間の感覚を失ってしまった。

シリアの都市ジャブラ出身で23歳の携帯電話ショップ店員の男性ザカリア氏は濁った水滴を飲んで生き延びていたが、救出の希望を失いかけていた。

金曜日夜に救出されたザカリア氏は、「私は死んでしまってもう生きられないのだと口に出して言ったほどでした」と、沿岸部の都市ラタキアの病院のベッドからAP通信に土曜日に語った。同じ病院では、ザカリア氏の母親のドゥハ・ヌラーラ氏(60歳)も回復の途上である。

数時間を隔てて発生した2つの強力な地震により、数千もの建物が倒壊し、28,000人以上が死亡し、数百万人が住居を失ってから5日後、救助隊は依然として廃墟から奇跡のように生存者を救い出している。その内の1人は生後たった7か月だった。

凍てつく寒さの中、人命を救おうと根気強く作業を行う疲れ切った男女の救助隊員は、救出の度に抱き合って「アッラー・アクバル!(神は偉大なり!)」と叫ぶが、彼らは悲嘆と絶望そして高まる不満に覆われた被災地域の中では例外的な人々だ。

土曜日には数十人の生存者が救助された。その中には、月曜日の地震の震源地に最も近いトルコの都市カフラマンマラシュの家族が含まれていた。

現地の救助隊は、12歳の少女ネヒル・ナズ・ナルリ氏を救出し、彼女の両親に無事引き渡した。

シリアと国境を接するガズィアンテプ県では、ヌルダル市内の倒壊した建物から5人家族が救出され、イスラーヒエの町では男性と3歳の娘が瓦礫から引き出されたとTVネットワークのハバールテュルクが報じた。ハタイ県でも7歳の少女が救助された。

カフラマンマラシュ県のエルビスタン地区では、20歳の女性メリッサ・ウルク氏ともう一人が地震発生の132時間後に瓦礫から救出された。

彼女が救出される直前に、警察は、近傍の救出活動の邪魔にならないように、周囲で見守る人々に歓声や拍手を控えることを呼びかけた。

トルコのテレビ局NTVは、ハタイ県の都市イスケンデルンの44歳の男性が138時間の苦しみの末に救出されたと報じた。

救助隊員たちは泣きながらこの救出を奇跡と呼んだ。隊員の1人は、誰か生存しているとは期待していなかったが、掘り起こす内に、その男性の目が見え、やがて男性が名乗ったのだという。

また、同じハタイ県のアンタキヤで、地震発生の140時間後ハムザ君という乳児が生きて発見されたこともNTVは伝えた。

ハムザ君の救出の詳細については、なぜそれほど長時間生き延びられたのかも含めて、現時点では明らかではない。

あらゆる救出活動が上首尾に終わったわけではない。50時間に及ぶ劇的な救出劇によって瓦礫から引き出された女性のゼイネップ・カラマン氏は、病院で突然亡くなったという。カラマン氏を救出したドイツのISAR救助隊は衝撃を受け悲しみにくれた。

「家族が別れを告げられること、もう一度再会できること、再び抱き合えることが大切なのです」と、ISAR救助隊の隊員はドイツのTVニュースチャンネルn-tvに語った。

トルコだけで24,617人が死亡し、少なくとも80,000人が負傷した震災へのトルコ政府の対応に不満が高まる中で、こうした救出劇が繰り広げられた。

トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は、今週初めに、道路やその他のインフラが広範囲にわたって損傷を受けたため到達困難な地域が発生し、その結果、初動対応が阻まれたことを認めた。

エルドアン大統領は、また、被害が最も深刻だったのは1,350万人が暮らす直径500km(310マイル)の地域だっと述べた。

これは救助隊が救助の場所と方法を自ら判断しなければならなかったことを意味する。

土曜日、エルドアン大統領は、被災した都市を視察中に、これ程の規模の災害は珍しいと述べ、また、「世紀の災害」とこの震災に言及した。

ハタイ県の県庁所在地のアンタキヤでは、散開した救助隊員たちが依然として懸命の捜索活動を継続しているが、住民の多くは土曜日までに避難した。

まだ残っている人々の中には家族が埋まったままだという住民もいた。こうした人々の多くは、日々街路でキャンプ生活を行ったり、自動車の中で睡眠を取ったりしている。

情報提供を受けた香港の救助隊が建物の下敷になっていた3人の生存者をアンタキヤ市中心部で発見した事を、同隊の広報担当のギャラント・ウォン氏が明らかにした。

しかし、アンタキヤ市在住の男性ブレント・シフィフリ氏は、倒壊した自宅から母親の遺体を救助隊が引き出してくれるのを何日も待ち続けていると述べた。

シフィフリ氏によると、救助隊は遺体の回収作業を始めたものの、生存者が残っている可能性のある別の場所から要請を受けて去ってしまったという。

「6日間が経過して、瓦礫の下に何人が残されているのか、死亡してしまった人々と生存している人々が何人いるのか私たちにはまったく分かりません」と、シフィフリ氏は述べ、重機の不足に怒りをにじませ嘆いた。

レイハンルからアンタキヤにやってきたシリア難民の女性ヤジ・アル・アリ氏は、テントで暮らしながら、救助隊員がやって来て彼女の母親と2人の姉妹と姉妹の家族を発見してくれるのを待っている。

姉妹の1人は妊娠していた。アリ氏は、アンタキヤ旧市街の中心部の、妊娠していた姉が埋まっていると考えられる自宅の瓦礫の上に立ち、「ラジャ!」と姉の名前をかすれた声で叫んだ。

「誰も私たちに答えてくれない、誰も探すために来てくれません」と、アリ氏は言った。「自分たちで探そうとしたら止められました。何故かは分かりません」

障害

しかし、援助活動が対峙している難題は、救助を待つ人々にとっても難題となった。

今回の震災は、この地域の苦悩をさらに深刻化した。12年にわたるシリア内戦により、この地域では数百万人がシリア国内で避難を余儀なくされ、また、援助に頼らざるを得ない状況に置かれている。

内戦のおかげで、さらに数百万人が難民としてトルコに退避している。

内戦によりシリアの多くの地域は孤立し、援助物資を届ける方策が複雑化した。

国連によると震災関連の援助物資の最初の輸送車列はトルコからシリア北西部に向かって金曜日に国境を越えたという。それは、震災以前から予定されていた援助物資の輸送が到着した翌日だった。

国連難民高等弁務官事務所は、シリアだけで530万人が住居を失ったと推定している。

救助隊組織のホワイト・ヘルメットによると、反政府勢力支配下のシリア北西部の死者数は2,166に達したという。政府支配地域の死者数1,387人は数日間更新されていないが、シリア全体の土曜日時点での死者数は合算すると3,533人となる。

トルコの災害緊急事態対策庁は、土曜日、トルコの関係団体から32,000人近くが捜索救助活動に従事していると述べた。これに加えて、8,294人の国際救助隊員も活動している。

しかし、82人のオーストリア兵士は、土曜日、「治安状況の悪化」を理由としてハタイにおける救助活動を停止したと、オーストリア軍の報道官がAFPに述べた。

「グループ間での衝突がありました」と、報道官は語ったが、詳細には言及しなかった。

国連人権事務所は、金曜日、クルド人武装勢力とシリア反政府勢力が作戦行動を行っている被災地域のすべての関係者に対して、人道的アクセスを可能とするよう求めていた。

トルコ政権と欧米同盟諸国によってテロリストグループと見做されている非合法のクルディスタン労働者党は、復旧作業を円滑に行うために戦闘を一時停止すると発表した。

反政府勢力支配下のシリア北西部では、約400万人が人道援助に頼って生活しているが、政府支配地域からの支援物資の輸送は3週間途切れている。

シリア政府は、その支配地域外の被災地域への人道援助の輸送を承認したとの発表を行った。

援助物資を積載した輸送車列で今週トルコから国境を越えたのは2組だけである。トルコ側では、当局がより大規模な震災救援活動を展開している。

10年間の内戦とシリアとロシアによる空爆により、既に病院は破壊され、電気と水は不足していた。

国連のアントニオ・グテーレス事務総長は、安全保障理事会に対して、トルコとシリアの間に新規に国際的な人道支援拠点を開設する事を承認するよう要請した。安全保障理事会は、シリアについて話し合うために来週早くにも会合を開く模様だ。

トルコは、シリアの反政府勢力支配地域へのルートを新たに2つ開設することに取り組んでいると発表した。

冬季の凍てつく寒さにより、何千人もの人々が、夜間は、自動車の中か、被災地のそこかしこにあるその場しのぎの焚火の周囲で身を寄せ合うかして過ごしている。

トルコ国内では、5日間にわたる 悲しみと苦悶の蓄積が、建物の質の低さ、そして、1世紀近くで最悪の災害に対するトルコ政府の対応への憤激へと徐々に変質しつつある。

低下する行方不明被災者の生存可能性

専門家によれば人間は閉じ込められても1週間かそれ以上生存可能だという。しかし、生存者をさらに発見できる可能性は急速に低下している。

救助隊は瓦礫の中の生命を発見する手段として熱赤外線カメラを使い始めた。これは、残っている生存者が衰弱し助けを求められなくなりつつあることを示している。

土曜日に支援物資の到着が続いたため、トルコ南部の都市イスケンデルンでは、インド軍の医療支援チームの99人のグループが負傷者の治療を臨時の野戦病院で開始した。

イスケンデルンでは主要な病院が倒壊してしまっていた。

シュクル・カンブラット氏という男性が野戦病院に運ばれて来た。左足に深い打撲と挫傷、裂傷を負っていた。

カンブラット氏は、痛みに顔をしかめながら、アンタキヤ近くの倒壊したアパートから地震後数時間で救出されたと語った。しかし、カンブラット氏は、簡単な応急処置後、相応の治療を受けずに病院を去った。

「(亡くなってしまった近親者全員の)埋葬を済ませてからここに来ました」と、カンブラット氏は亡くなった親類の人数を数えながら語った。「娘が死に、兄が死に、伯母と伯母の娘が死に、そして、伯母の息子の(妊娠8か月半だった)妻もです」。

土曜日には、大規模な仮設墓地がアンタキヤ郊外に造設されつつあった。

バックホーやブルドーザーが地面に穴を掘り、黒い遺体袋を乗せたトラックや救急車が続々と到着した。

隣接する交通量の多い道路で交通整理を行う兵士たちは、自動車の運転手たちに写真を撮らないようにと警告を発していた。

地面に垂直に立てられた簡素な木製の厚板が3フィート(1メートル)未満の間隔で数百枚並び、墓地であることを示していた。

メディアと情報を共有しないようにとの命令により匿名希望のトルコ宗教庁の職員によれば、アンタキヤ郊外の仮設墓地には、運営開始初日の金曜日に、800の遺体が運び込まれたという。土曜日正午までに2,000もの遺体が埋葬されたと、同職員は語った。

倒壊した建物は12,000棟以上

トルコ当局者は、今回の地震により、12,141棟の建物が倒壊もしくは深刻な損傷を受けたと話している。

イスタンブールを拠点とするボアズィチ大学のムスタファ・エルディック教授は、「被害は想定されていましたが、現在目の当たりにしているような被害は想定外です」と語った。

警察は、金曜日、壊滅的な地震により自らが建設した建物が倒壊した後、国外逃亡を図った建設業者を拘束した。

カフラマンマラシュとオスマニエの当局が倒壊した建物の調査を開始したと、トルコ国営のアナドル通信社が報じた。

マグニチュード7.8で33,000人が死亡した1939年の地震以来、今回の地震が最も強力かつ致命的だった。

AFP / AP通信

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