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エルドアン大統領、「地震による死者数はトルコ近代史上最悪」

大地震がトルコとシリアの一部に甚大な被害を与えてから一週間後、ガズィアンテプ近郊のイスラーヒエにある深刻な損傷を受けた建物を取り壊す援助隊員(ゼイン・アル・リファイ撮影 / AFP)
大地震がトルコとシリアの一部に甚大な被害を与えてから一週間後、ガズィアンテプ近郊のイスラーヒエにある深刻な損傷を受けた建物を取り壊す援助隊員(ゼイン・アル・リファイ撮影 / AFP)
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15 Feb 2023 11:02:22 GMT9
15 Feb 2023 11:02:22 GMT9
  • 1939年のエルジンジャン大地震による死者数は約33,000人だった
  • エルドアン大統領は、カフラマンマラシュ付近を震源地とする2月6日の地震による負傷者数は105,505人に達していると述べた

ジンディレス:トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は、先週の地震により35,418人が死亡し、100年前の同国の建国以来最悪の災害となったと発表した。

1939年のエルジンジャン大地震による死者数は約33,000人だった

エルドアン大統領は、カフラマンマラシュ付近を震源地とする2月6日の地震による負傷者数は105,505人に達していると述べた

エルドアン大統領は、首相府災害緊急事態対策庁(AFAD)本部での5時間に及ぶ閣議の後、会見を行った。

支援組織や政府機関は、火曜日、トルコとシリア内の地震で破壊された地方を支援する取り組みを強化したが、震災から1週間経過した現在も、住居を失った人々の多くが厳しい寒さを避けるためのシェルターの確保などの基本的なニーズを満たすことに苦闘している。

シリアにおける状況は一層絶望的だった。12年間に及ぶ内戦が救援活動を複雑化し、配布どころかシリア国内にいかに援助物資を持ち込むかについて何日も議論が重ねられたほどだった。援助物資をまったく受け取れていない人たちもいると、シリア在住の人々は述べた。一方、トルコでは、多数の家族が列車の車内で身を寄せ合っていた。

国連は、火曜日、「500万人近くのシリア人の生命を救うために切実に必要とされている救援」を今後3ヶ月間提供するための3億9700万米ドルの拠出要請を開始した。この要請は、トルコ側から国境線上をさらに二ヶ所で越えて反 政府勢力支配下のシリア北西部へと援助物資を届けることを是とする取り決めに国連とシリア政権が合意に至ったことを発表した翌日のことだった。必要とされる援助物資は依然として膨大である。

アーメド・イスマイル・スレイマン氏は、シリア北西部で最大の被害を受けた地域内のジンディレスの町で、損傷した自宅の外に毛布で一時的な避難所を設営した。構造的に問題を抱えているかもしれない自宅に家族を戻すことをスレイマン氏は恐れ、18人がその場しのぎのテントの下で寝ている。

「座ってはいますが、ここで横になることはできません」と、スレイマン氏は言った。「まっとうに使えるテントが届くのを待っているところです」

ジンディレス町議会代表のマフムード・ハファル氏によると、住民はこれまでに約2,500張りのテントを確保できたが、約1,500世帯は依然としてシェルター無しの状態だという。夜間気温は摂氏マイナス4度(華氏26度)まで下がる。

「地震発生後9日目ですが、援助はいつ届くのかという質問を未だに受けています」と、ハファル氏は語った。

テントが不足している一方で、ある女性によると、ジンディレスでは寄付されたパンと水が余っているという。

南西部、政府支配地域のラタキアでは、リーファ・ブリーモ氏が、避難所に逃げ込めた人たちだけが援助物資を受け取っているように見えると述べた。

「食べて飲んで、生き延びなければなりません。仕事も、生活も全てが止まってしまいました」と、ブリーモ氏は言った。

マグニチュード7.8の地震と強い余震により、数万もの建物が損傷や倒壊し、道路が破壊され、空港が暫時閉鎖に至った後、救助隊員や医師たち、発電機や食料にいたるまで、支援は世界中から提供されているが、依然膨大な支援が必要とされている。この地震は、トルコ国内では1,350万人が暮らす10の州に、シリア国内では数百万人が暮らす北西部の広範囲に影響を与えた。

被災地域の大部分では、水道システムが機能していない。また、トルコの保健相は、水道システムの数十ヶ所から採取した標本を検査した結果、水道水が飲用に適していないことが判明したと発表した。

港湾都市イスケンデルンでは、先週来、住居を失った家族が列車の客車に避難している。

ここ数日は数多くの人々が近隣のキャンプやトルコ国内の他の地域に移ったが、火曜日時点では数十人が依然として列車の中で暮らしている。

「列車が私たちの家ということになりました」と、50歳のニダ・カラハン氏はアナドル通信社に語った。

35トンの食料を積載したサウジアラビアからの最初の救援機がシリア政府支配地域のアレッポに火曜日に着陸したが、反政府勢力支配下のイドリブへの援助物資の輸送は特に複雑で困難だった。

国連とバッシャール・アサド大統領率いるシリア政権が合意に至った月曜日まで、国連機関は反政府勢力支配下の地域に救援物資を届けるにあたって、トルコとの国境線上の特定の一ヶ所を越えるか、シリア政府の支配地域を経由するかのいずれかしか許可されていなかった。

新たに開設されるバブ・アル・サラメとアル・レイの検問所は、当初の3ヶ月間は機能する予定だ。今回開設される検問所を恒久化する提案に対してはロシアが強硬に反対した。ロシアの外相は、シリアの反政府勢力支配下地域「ばかりに」援助を行おうとしているとして欧米を非難した。

主要な人道支援団体は国連とシリアが合意したことを歓迎した。援助物資を積載した11台のトラックから成る国連の輸送車列がバブ・アル・サラメを通過してシリア北西部に入国した。しかし、ロジスティック上の問題は依然として残っている。

「繰り返し行きつ戻りつしている交渉です」と、世界保健機関のクリスチャン・リンドマイヤー広報官は言った。「輸送車列を受け入れることにすべての当事者が合意しなければなりません」

その一方で、死者数は35,000人を越えた。その内32,000人近くはトルコで死亡した。、ホワイト・ヘルメットとして知られる救助組織によれば、シリアの反政府勢力支配下の北西部の死者数は2,200人だという。シリア政府の支配地域の死者数は、シリア保健省によると、1,400人である。

捜索隊がさらに多くの遺体を発見するに従い、死者数が増加していくことはほぼ確実だ。そして、生存者発見の可能性は消えつつある。

とはいえ、震災後200時間経って、教師のエミネ・アクグル氏がアンタキヤのアパートから鉱山捜索救助隊により助け出されたと、トルコ国営のアナドル通信が報じた。

アドゥヤマン県では、救助隊が18歳のムハンマド・カフェル・セティン氏を発見し、医師たちによる輸液の後、救助作業中にさらに損壊した建物から危険を伴う引き出し作業を行った。医師たちに頸椎カラーを装着されたセティン氏が酸素マスクをつけて担架で運ばれて行く様子をトルコのテレビ局が放映した。

トルコでは、多くの人々が今回の壊滅的な被害の原因が施工不良だと考えており、政府当局は倒壊した建物と関連のある建設業者らを引き続き捜査対象としている。トルコでは、地震工学の基準に沿った建築基準が導入されていたが、専門家によるとその基準が強制されることはほとんど無かったという。

シリア北西部のアフリーンのスポーツセンターに設置された臨時避難所では、190家族がバスケットボールのコートの床に通常はトレーニングに用いられるマットレスを敷いて横たわって寝ていた。皆、毛布を柱やスポーツ用の柵などに掛けて、プライバシーを何とか確保しようとしていた。

サバ・エル・ホドル氏は、自身と2人のまだ幼い子供たちがこの9日間病気なのだと話した。子供たちは毛布に包まれてバスケットボール・コートの床の上で眠っていた。

アフリーン当局は、この避難所は新しいテントが確保されるまでの臨時のものだと述べた。

AP通信

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