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リビア、拘留中のカダフィ氏の息子を健康悪化を理由に釈放するようレバノンに要請 当局者発表

ハンニバル・カダフィ氏の健康状態は、裁判なしの拘留に抗議するために6月3日にハンガーストライキを始めて以来、悪化している。(ファイル/AP)
ハンニバル・カダフィ氏の健康状態は、裁判なしの拘留に抗議するために6月3日にハンガーストライキを始めて以来、悪化している。(ファイル/AP)
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15 Aug 2023 01:08:36 GMT9
15 Aug 2023 01:08:36 GMT9
  • ハンニバル・カダフィ氏は、レバノンの武装勢力に拉致された後、2015年からレバノンで拘留されている

ベイルート:リビアの司法当局は、2015年以来レバノンで告訴なしに拘留されている独裁者・故ムアンマル・カダフィ氏の息子の1人を健康状態悪化を理由に釈放するようレバノンに正式に要請したと当局者が月曜日に述べた。

ハンニバル・カダフィ氏の健康状態は、裁判なしの拘留に抗議するために6月3日にハンガーストライキを始めて以来、悪化している。それ以来、彼は少なくとも2回病院に運ばれ、少量の水しか飲んでいない。

レバノンの司法当局者2人によると、リビアのアル・セディク・アル・スール検事総長は今月初め、ハンニバル・カダフィ氏に関する要請書をレバノンのガッサン・ウエイダット検事総長に送った。同当局者らは、メディアと話す権限がないため匿名を条件にAP通信に語った。

その要請書には、この問題におけるレバノンの協力は、1978年にリビアで行方不明になった著名なレバノンのシーア派聖職者ムーサー・アッ=サドル師の運命に関する真実を明らかにするのに役立つ可能性があると書かれていた。

また、カダフィ氏がなぜ拘束されているのかに疑問を呈し、カダフィ氏をリビアに引き渡すか、同氏が8年前に拉致されレバノンに連行されるまでレバノン人の妻アリーン・スカフ氏や子供たちと亡命生活を送っていたシリアに戻ることを許可するよう求めた。

その後、レバノンの検事総長は、聖職者が行方不明になった事件の捜査判事であるザヘル・ハマデ氏にこの件を付託した。同判事はリビアの要請を検討中であり、いずれ回答すると述べた。

ハンニバル・カダフィ氏は、聖職者の所在に関する情報を要求するレバノンの武装勢力に誘拐された後、2015年からレバノンで拘留されている。レバノン警察はその後、カダフィ氏が拘束されていたレバノン北東部の都市バールベックからカダフィ氏を引き取ったと発表した。それ以来、彼はベイルートの刑務所に収容されている。

1978年のアッ=サドル師の失踪は、レバノンでは長年の痛手となっている。聖職者の家族は、リビアの刑務所で彼がまだ生きているかもしれないと信じているが、レバノンの多くの人々は、アッ=サドル師は亡くなったものと見なしている。生きていれば、師は94歳になる。

アッ=サドル師は、アマルグループの設立者である。この言葉はアラビア語で「希望」を意味し、民兵組織のアラビア語名「レバノン抵抗旅団」の頭字語でもある。同グループはその後、1975年から90年にかけてのレバノン内戦で戦った。レバノンで大きな権力を持つナビーフ・ビッリー議会議長がグループを率いている。

アッ=サドル師の支持者の大半は、ムアンマル・カダフィ氏が、レバノン民兵に対するリビアの支払いを巡る争いのためにアッ=サドル師の殺害を命じたと確信している。

リビアは、聖職者と2人の同伴者が1978年にローマへ向かう飛行機でトリポリを出発したと主張しており、彼はシーア派間の権力闘争の犠牲者であったと示唆している。

ムアンマル・カダフィ氏は、2011年のリビア蜂起から内戦に発展した際に反体制派の戦闘員によって殺害された。これにより、40年間におよんだ彼のリビア支配には終止符が打たれた。

アッ=サドル師失踪の2年前に生まれたハンニバル・カダフィ氏は、父親が倒され、反体制派によってトリポリが陥落した後、母親や数人の親族とともにアルジェリアに逃れた。その後、政治亡命を許されたシリアに渡り、拉致されるまでそこにとどまった。

シリア当局は当時、「武装集団による」ハンニバル・カダフィ氏の拉致を非難し、彼をシリアに戻すよう要求してきた。

AP

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