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「ガザの戦闘」の代償を払うイスラエル

ガザ地区からイスラエルに向けて発射されたロケット弾による被害を調査するイスラエル警察。(ロイター通信)
ガザ地区からイスラエルに向けて発射されたロケット弾による被害を調査するイスラエル警察。(ロイター通信)
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10 Oct 2023 04:10:20 GMT9

2007年、イスラエル人は「ガザの戦闘」におけるハマスとパレスチナ自治政府 (PA) との間の戦いをあざ笑っていた。この仲間同士の戦いで何百人もが命を落とした。ハマスはガザ地区全体を掌握し、ファタハのメンバーをラマッラーに追放した。イスラエルのメディアは、ヨルダン川西岸地区に逃亡し、下着姿で街路を歩く人々の画像を流した。

イスラエルにとって、この状況は好都合であった。パレスチナ人は内紛に気を取られ、パレスチナ国家とイスラエル国家という2つの別々の国家の樹立に向けて前進する代わりに、対立する2つの小さなパレスチナ国家の出現へと向かった。パレスチナ統一政府は崩壊し、ハマスは独自の司法と警察機関を置くとともに、イスマーイール・ハニーヤを首相に据えた。ラマッラーでは、PA がサラーム・ファイヤードを首相に任命した。アラブ連盟とEUはラマッラー政府を支援し、一方イランはガザ地区の政府に資金を提供した。この分裂は深まり、パレスチナ国家樹立のビジョンは徐々に消え去った。

国境検問所が閉鎖され、暮らしが崩壊したことで、ガザ地区のパレスチナ人の生活は果てしなく悲惨な状態となった。トンネルが掘られ、これによってイランがガザ地区へと入り込み、自らが支持する勢力の支援が可能となった。

これら勢力は統制が取れており、イランの利益のために奉仕する準備ができていた。

ハマスの存在にもかかわらず、正統のPAがガザ地区の支配権を取り戻す支援にイスラエルが失敗したことが間接的に影響して、権力の空白は続いた。ハマスが支配権を掌握する5年前に、イスラエルはベツレヘムとラマッラーで新興PAの能力を強化するのではなく、弱体化させていたことは特筆に値する。

2007年以降、ガザ地区は軍事組織としてのハマスを除いて空白状態に陥っている。ハマスは、パレスチナ・イスラム聖戦と競り合いながらも、その存在を認めていない。リビア、イエメン、レバノン、アフガニスタンで見られるような空白状態は、安定に対する重大な脅威となる。シナイ半島でエジプトに対して武装作戦を展開してきた多くの武装勢力が、ガザ地区から侵入しており、この脅威はガザ地区とイスラエルの人々を超えて広がっている。ガザ地区内でもパレスチナ・イスラム聖戦やアルカイダ系組織が台頭しており、ハマスはもはや絶対的な権力を持たなくなっている。

他の国家と同様に、パレスチナ人にも自らの地域を統治する権限が与えられるべきである。これにはPAへのサポートが必要である。

アブドゥルラフマン・アル・ラシド

イスラエルが本当に安定を求めるのであれば、パレスチナ国家の樹立というオスロ合意の約束の実現を妨げている政策を再考すると同時に、PAとの関係を再評価する必要がある。真の平和と安定は、実質的な権限を持ち、国際社会の支援を受けた正統なパレスチナ政府によってのみ達成され得る。

紛争が続く中、ハマスとイスラエルに注目が集まっているが、PAは蚊帳の外に置かれている。ラマッラー政府の混乱と弱体化が、ガザ地区だけでなくヨルダン川西岸地区でもハマスとパレスチナ・イスラム聖戦の勢力拡大に寄与したというのが真実だ。

分裂以降、PAの能力、機能、影響力は低下してきた。PAの弱体化は、パレスチナ国家の樹立を阻止し、その権限をオスロ合意よりも大幅に小さい地域に限定することを目的としている(PAは現在、オスロ合意に定められた5,000平方キロメートルあまりの土地のうち、わずか1,000平方キロメートルしか支配していない)。

さらに、ガザ地区はPAの統治区域外にある。PAの指導力が弱体化したなかで、その支配力を拡大して責任を負うことを期待するのは非現実的だ。イスラエルの安全は、本質的にパレスチナ領土の安定と結びついている。他の国家と同様に、パレスチナ人にも自らの地域を統治する権限が与えられるべきである。これには、時間をかけたPAへのサポート、その能力の開発、立場の強化が必要である。

イスラエルは、アサド政権のような手法を採用して、パレスチナ人250万人を唯一の隣国であるエジプトに追放することはできない。また、ハマスとパレスチナ・イスラム聖戦支配のもとで閉鎖されたガザ地区の長期にわたる影響も容認することはできない。

アブドゥルラフマン・アル・ラシド氏は、ジャーナリストでありサウジアラビアの有識者である。アル・アラビーヤ・ニュースチャンネルの元ゼネラルマネージャーであり、この記事が最初に掲載されたアシャルク・アルアウサト紙の元編集長でもある。

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