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レバノンで勾留中のカダフィ氏の息子、ハンガーストライキのため一時的に病院へ搬送される

ハンニバル・カダフィ氏(写真/ツイッター)
ハンニバル・カダフィ氏(写真/ツイッター)
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24 Jun 2023 08:06:38 GMT9
24 Jun 2023 08:06:38 GMT9
  • ハンニバル・カダフィ氏は、政治難民として暮らしていた隣国シリアから短期間拉致された後、2015年からレバノンで勾留されている

ベイルート:リビアの指導者であった故ムアンマル・カダフィ氏の息子が、健康状態悪化のために今週、一時的に病院へと搬送された。ベイルートでの裁判を行わないままの勾留に抗議するため、彼がハンガーストライキを始めて3週間近くが経過していた、とこの件に詳しい人物は語った。

機密に関わる問題のため、匿名を条件に語った人物によれば、少量の水のみ摂取していたハンニバル・カダフィ氏の健康は21日に悪化したという。

6月3日にハンガーストライキを始めたカダフィ氏は、血圧低下と背骨の炎症を起こした後、21日にベイルートのオテルデュー・ド・フランス病院へ搬送された。

カダフィ氏には血清、抗生物質、栄養補助食品が与えられた。そして健康状態が安定すると、ベイルートの拘置所に連れ戻された、と情報提供者は述べた。

独房のカダフィ氏を22日に医師が診察したところ、容態は安定していたという。

彼は、自由に動くことも運動することもできない小部屋に拘束されていたために、背中の痛みに苦しんでいた。

ハンニバル・カダフィ氏は、政治難民として暮らしていた隣国シリアから短期間拉致された後、2015年からレバノンで勾留されている。

彼を拉致したのは、45年前にリビアで行方不明になったレバノンの著名なシーア派聖職者、ムーサー・アッ=サドル師の居場所に関し情報を要求したレバノンの過激派だった。

レバノン警察は後に、ハンニバル氏を拘束されていた北東部の都市バールベックから救出したと発表した。それ以来、彼は裁判を受けることなくベイルートの刑務所に勾留されている。

1978年のアッ=サドル師の失踪は、レバノンでは長年の痛手となっている。聖職者の家族は、リビアの刑務所で彼がまだ生きているかもしれないと信じている。だが、レバノンの多くの人々は、アッ=サドル師は亡くなったものと見なしている。生きていれば、師は94歳になる。

アッ=サドル師は、アマルグループの設立者である。この言葉はアラビア語で「希望」を意味し、民兵組織のアラビア語名「レバノン抵抗旅団」の頭字語でもある。

同グループはその後、1975年から90年にかけてのレバノン内戦で戦った。レバノンで大きな権力を持つナビーフ・ビッリー議会議長がグループを率いている。

アッ=サドル師の支持者の大半は、ムアンマル・カダフィ氏が、レバノン民兵に対するリビアの支払いを巡る争いのためにアッ=サドル師の殺害を命じたと確信している。

リビアは、聖職者と2人の同伴者が1978年にローマへ向かう飛行機でトリポリを出発したと主張しており、彼はシーア派間の権力闘争の犠牲者であったと示唆している。

カダフィ氏は、反体制派の戦闘員によって2011年に殺害された。これにより、40年間におよんだ彼の北アフリカ支配には終止符が打たれた。

ハンニバル・カダフィ氏は、アッ=サドル師失踪の2年前に生まれた。

AP

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