工学博士モハメド・ナセル・アル・アーバビ
スルタン皇太子のNASAのミッションは、UAEの宇宙飛行士ハザ・アル・マンスーリを含む同世代のアラブ人に刺激を与えた。
概要
1985年6月17日、NASAのスペースシャトル「ディスカバリー号」が5回目のミッションで初のアラブ人、イスラム教徒、王室メンバーの宇宙飛行士を乗せてフロリダ州ケープカナベラルから離陸したとき、歴史が作られた。そのとき、アラブ宇宙開発の新時代の種がまかれた。
サウジアラビアのサルマーン国王の息子であるサウジアラビア空軍のパイロット、スルタン・ビン・サルマン皇太子(28歳)は、7人の国際乗組員の一員として宇宙で7日間を過ごし、実験を行った。
ディスカバリー号の宇宙飛行中、スルタン皇太子は、アラブ諸国間の電話やテレビの通信の強化を目的に設計され、汎アラブ組織によって打ち上げられた2番目の人工衛星、アラブサット1Bの軌道投入を監視する役割も担った。スペースシャトルがカリフォルニア州のエドワーズ空軍基地に着陸した後、同世代のアラブ人が宇宙に目を向ける契機となったスルタン皇太子は、サウジアラビアをはじめとするアラブ諸国で英雄として歓迎を受けた。
UAE宇宙庁:アラブ世界の天文学の歴史は、イスラーム黄金時代に行われた学術研究でアラブ人が名を馳せた9世紀にまでさかのぼる。この時期、天文学の研究を支えた「知恵の家」が、アッバース朝のカリフ、アル・マムンによってバグダッドに設立された。
アラブ人やイスラム教徒は偉大な天文学の遺産を有しており、数多くの天文学の研究成果が今日まで残っている。
8世紀後半のムハンマド・アル・ファザーリはキブラを見つける足掛かりとなるアストロラベを作った最初の天文学者であり、9世紀のムハンマド・アル・フワーリズミーは太陽、月、惑星の動きを記した天文表を含む「ジージュ・アル・シンドヒンド」を著し、11世紀のオマール・カイヤムは最も正確な一年の長さを定義する暦を完成させた。
イスラーム黄金時代から長い年月を経て、アラブ人は天文学の伝統を再生し、中東地域の宇宙研究の分野を復活させた。
1985年6月17日、サウジアラビアのスルタン・ビン・サルマン皇太子は、アラブ人のイスラム教徒として初の宇宙旅行を実施し、地球周回軌道に7日間留まり、NASAと共同で人工衛星アラブサットの軌道投入に尽力した。サルマン皇太子はアラブ人に大きな刺激を与え、中東地域と世界に足跡を残した。
現在ディスカバリー号で地球を周回しているスルタン・ビン・サルマン皇太子は、今日の気分は「上々だ」と語った。地球の眺めは「素晴らしい」と皇太子は述べている。
1985年6月18日、アラブニュースの一面記事より
スルタン皇太子の経験は、1970年代のシェイク・ザイード・ビン・スルタン・アル・ナヒヤーンの時代から宇宙への強いコミットメントを示してきた国であるUAEに特に大きな影響を与えた。先見性に富んだシェイク・ザイードは、当時、アポロ17号ミッションチームの3人の宇宙飛行士、ジーン・サーナン、ロナルド・エバンス、ハリソン・シュミットと面会した。シェイク・ザイードは、UAEの宇宙への関心を高める上で重要な役割を果たし、人類の利益のために宇宙を探索することの重要性を力説した。
1988年、シェイク・ザイードは宇宙から帰還したスルタン皇太子と面会し、宇宙への旅について事細かに尋ねた。シェイク・ザイードは、宇宙開発に途方もない可能性を見出し、宇宙分野におけるUAEの潜在能力の将来を見据えた洞察力も備えていた。シェイク・ザイードの斬新な考えを誇りとするUAEは、彼の宇宙開発のビジョンを受け入れた。
シェイク・ザイードのビジョンとスルタン皇太子の歴史的な偉業は、UAEと中東地域の宇宙開発への熱意を後押しする足掛かりとなった。それ以来、UAEは、意欲的な宇宙プロジェクトに取り組んでおり、世界の宇宙分野における中東地域の先導的な地位を確立している。
UAEは、UAE宇宙飛行士プログラムの創設、10基の人工衛星の打ち上げ、宇宙分野を支援する30件以上の協定の締結、宇宙経済への60億ドル相当の投資の誘致など、宇宙分野で大きな成果を上げている。
UAEの重大な節目となったのは、初のUAE宇宙飛行士の宇宙への打ち上げだ。ハザ・アル・マンスーリは2019年9月に国際宇宙ステーション(ISS)を訪れ、実験を実施して、将来宇宙のパイオニアになりたいというインスピレーションをUAEの若者に与えた。
スルタン皇太子とサウジアラビア空軍の予備要員であるアブドゥル・アル・モーシン・ハマド・アル・バッサム少佐がアメリカに到着し、スペースシャトルのミッションに向けて集中訓練を開始。
スルタン皇太子がディスカバリー号でケープカナベラルを離陸し、宇宙へ行った初のアラブ人となる。
ディスカバリー号のクルーがアラブサット1Bを放出。
地球を111回周回し、460万km以上を飛行したディスカバリー号がカリフォルニア州のエドワーズ空軍基地に着陸。
シリアのムハンマド・ファーリスがソビエトのミール宇宙ステーションを訪れ、宇宙へ行った2人目のアラブ人となる。
スルタン皇太子が新たに発足したサウジ宇宙局の局長に任命される。
UAEのハザ・アル・マンスーリが8日間のミッションでUAEの国旗を国際宇宙ステーションへ持ち込み、宇宙へ行った3人目のアラブ人宇宙飛行士、国際宇宙ステーションに足を踏み入れた初のアラブ人宇宙飛行士となる。
2117年までに人類が火星を植民地化する計画に向けた第一歩となるUAE宇宙庁の火星ミッション探査機「ホープ」の打ち上げ予定日。
アル・マンスーリの宇宙への情熱と、未来の世代のために宇宙探査への道を切り開きたいという願望は、スルタン皇太子によってもたらされた。その後宇宙飛行士となる小学生時代のマンスーリは、小学4年生の教科書でアラブ人初の宇宙飛行士スルタン皇太子の写真を見た。それが人生の転機となった。
それ以来、アル・マンスーリは宇宙探査の夢を追い求めた。マンスーリは、宇宙へ旅立った初のUAE国民であり、3人目のアラブ人であるだけでなく、国際宇宙ステーションを訪れた初のアラブ人でもある。マンスーリのミッションが行われたのは、1987年にシリアのムハンマド・ファーリスが宇宙船に搭乗した30年後、1985年にスルタン皇太子が宇宙に旅立った32年後のことだった。
アル・マンスーリは、宇宙科学ミッションおよび有人宇宙ミッションに参加する宇宙飛行士のナショナルチームを育成するUAE宇宙飛行士プログラムの実行委員に選出された。プログラムの第1回の募集には4,000人以上の応募があり、宇宙分野へのUAEの若者の情熱を浮き彫りにした。
小学生時代のアル・マンスーリは、小学4年生の教科書でアラブ人初の宇宙飛行士スルタン皇太子の写真を見た。それが人生の転機となった。
モハメド・ナセル・アル・アーバビ UAE宇宙庁長官
プログラムの第2回の募集も、最年少の応募者が17歳、最年長の応募者が60歳と、さまざまな経歴や年齢層の人々の関心を集めた。
アラブ人宇宙飛行士の成功を受けて、UAEは宇宙分野におけるアラブ世界の主導的地位を強化する取り組みを続けており、地球や大気の理解を深めることに貢献するUAE火星探査機の打ち上げを今年計画している。
アラブ諸国間の協力を促し、世界の宇宙分野へのアラブ世界の貢献を強化する取り組みの一環として、UAEは、宇宙産業におけるアラブの技術能力を高め、科学研究開発への中東地域の貢献を強化することを目的にアラブ宇宙調整グループを立ち上げた。
UAEとサウジアラビアは、宇宙分野における相互利益も、知識と経験を分かち合うことへの熱意も共有している。最近、UAE宇宙庁は、スルタン皇太子が局長を務めるサウジ宇宙局との間で、平和目的の宇宙活動における更なる協力、技術的能力と科学的能力の構築、知識や専門技術の交換を目的とする協定を締結した。
スルタン皇太子の宇宙における足跡をたどることは、イノベーションを推進し、宇宙分野への人々の意識を高め、同じ道を歩むよう若者に促すには不可欠だ。それらの取り組みが、より多くのアラブ人が世界最高の宇宙飛行士の仲間入りをするための鍵となる。